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~審判コラム~

秋田県野球協会審判部 北仙北支部 浅利卓美


 私は平成20年に公認2種審判員資格を所得し、平成22年に1種審判員資格を所得しました

 私が野球を始めたきっかけは、6歳上の兄が小学4年から野球をやっており、 物心がついた時には既に野球ボールで遊んでいて、 家の前にある公民館のグラウンドで兄と一緒に父が打つノックを受けたのが始まりでした。 小学3年の時に周りの友達が続々と野球部に入ったのをきっかけに、釣られて野球部に入部し、 左利きの高身長で肩が強いというだけで打てない・守れないとういう下手ではありましたが、 本格的に野球人生をスタートしました。

 コントロールが悪く、変化球も投げられないような威力勝負の投手でしたが、 中学校では背番号1を背負いギリギリで勝ち上がり県大会へ進出、 秋田経法大附属高校(現明桜高校)に進学し野球を続けました。

 高校3年の夏、ベンチ入りは出来ませんでしたが選手権秋田大会で優勝し甲子園出場、 小学校から高校まで良い仲間と指導者に恵まれて、 野球で成長できたと言っても過言ではない位に没頭してきました。

 高校卒業後は地元に戻り就職し、軟式野球チームに所属し5年程活動しましたが、 肩痛で選手は断念、その後、野球から遠ざかっていましたが、根っからの野球好きの為、 野球に何らかの形で恩返しがしたい、運が良ければ甲子園で審判を…という思いから、 審判員を志し現在に至っています。

 資格所得後の審判初戦は今でも忘れない、おはよう野球地区予選会の3塁審でした。 2塁のカバーリングを忘れる、タッグプレイやフェア・ファウル判定で迷う等、 散々な結果で審判の難しさを痛感しました。また、いかに自分が野球のルールを知らずにプレーしていたか、 野球ルールの奥深さを知りました。ただ、その時に見た他審判員の判定や動作、 ルール適用に対する説明に憧れ、自分もあのようにしっかり動き、 堂々とジャッジできる審判員になるまで頑張ろうと決め、 「やるからには極めるまで」の意識でルールや動き方を勉強し現在に至っています。

 野球というスポーツは世界中にある球技の中で、一番難しいと思っています。 サッカーやバスケットボールのように、一定時間が経過すると自動的に試合が終わるという事は無く、 テニスやバレーボールのように、何点取ると試合が終わるという事もありません。 連盟によって時間制限や点差コールドが有りますが、それでも仲間で協力して3つのアウトを取らなければ、 何時間かかろうが何点取られようが次のイニングへは進めない究極の団体球技です。 その為、審判として選手のプレー1つ1つに対し真摯に、 簡単なプレーに対しても気を抜かず選手の全力プレーに応えるよう見たままを判定する事を常に意識しています。

 まだまだ知識・技術共に未熟ですが、2年前に秋季東北地区高校野球大会(宮城県)に派遣していただき、 北東北大学リーグ戦や社会人野球も担当させていただけるようになり、 光栄にも今年4月には甲子園球場で3年振りに開催された全国審判講習会を受講させていただきました。

 高校時代に選手権大会の公式練習で補助員として30分だけ立った甲子園球場に再度立つことができ、 実戦形式の講習で球審として見た景色、「プレイ‼」を宣告した時の感動と経験は、忘れる事のない財産となり、 この場所での実戦への憧れが一層強くなりました。


 これまで審判活動に関し文句を言わず協力してくれている家族、 特に妻と子供達には本当に感謝しています。内心では苛立っていると思いますが、 家族サービスより審判活動を優先する旦那を朝早くても気持ちよく「頑張って」と送り出してくれる事、 高校選手権大会等の私が担当する試合のテレビ放送やニュースを見て皆で喜んでくれる事、 なかなか直接は伝えられませんが、本当に感謝しています。 また、忙しい中でも休暇所得に理解をしてくれる職場の方々にも本当に感謝しています。


 県内各地で野球人口が減少し、チーム数も減少していますが、同時に審判員も高齢化、 なり手不足により減少しています。「試合に行けば審判がいる」ものだとプレイヤー時代は感じていましたが、 今では試合をしたくても審判員がいない状況になりつつあります。未来のプロ野球選手の為、 一生懸命努力している球児の為に、ほんの少しでも審判員に興味がありましたらチャレンジして、 また違う角度から見る野球を楽しみながら、 試合後の達成感を味わってみませんか‼秋田の野球をもっと盛り上げていきましょう‼






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