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~審判コラム~

秋田県野球協会審判部 秋田支部 宮川朝美

 野球との出会い・・・男鹿で生まれ育った私は、小学生・中学生時代普通の何処にでもいる野球小僧でした。
 審判との出会い・・・それから30年後の事でした。

 就職と同じく秋田市に移り住み、地元の草野球チームで楽しむ様になりましたが、審判には一切興味を持ちませんでした。子供にも恵まれ、長女・長男はソフトボール、野球の道へ!日々の練習、試合と時間を共有出来て楽しむ事ができましたが、この期間が審判員となるきっかけとなった事も事実です。
 ある日、子供から野球のルールに関する質問を受け、今では簡単に答える事ができます。が、この時は答える事ができず言葉に詰まりました。いつも子供には頑張れと言っている私が子供の素朴な疑問が答える事ができなかった、一念発起し審判員資格試験受験を決断しました。
 幸いにも義父が秋田支部の審判員として活動中だったので、2種資格試験の情報を得る事ができ受験の運びとなりました。めでたく合格となり秋田支部の仲間に加えてもらい現在に至ります。私を含め同期5名が活動中です。中には甲子園に派遣された審判員も、同期の誇りでもあります。

 私が審判員になり心がけている事は少年野球時代にも関係があります。当時の審判員は口調も強く威圧感があり怖いイメージ満載でした。こういうトラウマもあり、選手に対し笑顔で接する様に心がけています。当然審判技術が大事な事に変わりありませんが選手が気持ち良くプレー出来る場を作るのも技術の1つではないでしょうか!
 もう1つはボールボーイとのコミュニケーションの取り方です。人それぞれだと思いますが、1例として私は「この試合の球審の宮川です。あなたのお名前は?」「○○君、○○君この試合よろしくね。」「一緒に頑張ろう、水分補給しっかりね!」ボールを持って来てくれたら『ありがとう』を忘れず、両手で貰う様に、試合の終わりには「○○君、○○君今日はありがとう、今度はプレーヤーとして会えればいいね!」これが私の球審とボールボーイのやり取りです。
 嬉しい事がありました。ある高校で選手から「宮川さんですよね、中学生の時ボールボーイをやっていて名前で呼んで貰って嬉しかった。」とのこと、それで私の名前を覚えていてくれたのです。

 私の様に40歳代で子供の影響もあり、審判の道に入られた方も多数いらっしゃると思います。もう少し早い活動ができたらと少し悔やまれる思いもあります。ですが、先輩達の厳しい教えのもと秋田県高校野球夏の選手権100回記念大会オープニングゲームの球審を努めさせていただきました。一生の思い出となりました。

 昨今、新たに審判員資格審査会にのぞまれる人の減少により人員不足に陥っています。秋田支部の取り組みとして数年前から審判員募集の啓発活動に取り組み始めました。今年もさらに、若手審判員の募集に取り組んでいます。
 私達と一緒に秋田県の野球発展のお手伝いをしませんか!

            審判員は礼儀を重んじ、しかも公平にして厳格でなければならない。
            そうすれば、すべての人々から尊敬される。
(規則書、審判員に対する一般指示から抜粋)






『野球審判員募集!!』秋田県野球協会 2種資格審査会 令和4年10月16日(日)