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20世紀の思い出
野球部あるある
秋田商業高校
(八橋校舎編)


      

・今川敬三監督のことを”軍”と呼ぶ。

・”軍チョップ”の破壊力は抜群。

・八橋球場を借りて練習をするときは必ず「ダービー」をやらされた。

・隣のサッカー部の部室で”ヤキ”が始まると野球部でも始まる。

・練習をやりたくなくて、前夜にマウンドにあった散水用の蛇口を開けっ放しで帰った部員がいた。

・雨乞いのため、下級生全員で雨雲を引っ張った。

・夏休みの練習では、水田にこっそり水を隠して飲んだ。当時は水を飲むな、泳ぐなの時代。

・夏にはグラウンドに蚊が大量発生し、練習終わりのミーティング中、やたらとさされる。

・練習終わりのミーティング中、蚊に顔をさされ、痒くてかくと、人の話を真剣に聞いていないと”軍チョップ”がとんでくる。

・1年生の当番の任務は、部室掃除、監督&先輩のスパイク磨き、便所紙の購入。

・晴天が続くと先輩から命じられ、1年生は「雨降れ・雨降れレポート」を授業中に記入し、放課後に先輩へ提出。

・それでも雨が降らないと、レーキで「雲引き」の祈祷をする。

・道場の裏に水を入れたバケツを隠していたら「ミミズ」を入れられた。

・大森山ロードワークの帰りに「萬八」の親父がくれる大判焼きの味が忘れられない。

・部室の隣にシャワー室があったが、小便専用になっていた。

・山崎新幸先生の物理の再実験がある日の前日は、汽車通の部員全員、下宿に泊まった。

・廊下の油ひきで、一斗缶に入っている油を全部まいて練習不能となり、監督から”軍チョップ”をやられた。

・間違って3年生を5厘刈りにしてしまい、下級生全員”ヤキ”をいれられた。

・1年っ子の時、新しいユニホームを着ていったら、2年っ子に「きれいすぎる」と”ヤキ”をいれられた。

・同期で県南部からきた部員の「そのゴミ、うだつけ」という訳のわからない言葉に戸惑った。

・その後も「言葉の使い方がバシだ」といわれては、その同期のおかげで連帯責任という名の下、先輩からヤラれた。

・冬、真っ白なグラウンドでサッカー部とサッカーの試合をした。0ー1で野球部が負けたが、サッカー部のあまりにもふがいない試合運びに大将がごしゃいで、延々とサッカー部員を走らせた。

・夏休みの練習初日、”軍”がレモンと氷水を入れたポリバケツをグラウンドにおいてくれた。「これから毎日」と期待したが、甘かった。

・同期のキャッチャーがイップスになり、返球のたびに頭上を超えて体育館の壁にぶつけていた。そいつは外野手にコンバートされた。当然だ。

・練習が終わって、真っ暗な自転車置き場の方向から「バ~イ」と言われ、「バ~イ」と返したら先輩だった。「おめチカし」といわれ、”ヤキ”をいれられた。


※現在はこのような事はありません!



監修:秋田商業硬式野球部OB今川敬三監督世代有志