20世紀の思い出
野球部あるある
能代高校
・冷たい水のことを「シャーミー」という。 ・謝るときは「すみません」ではなく「わりっす」。 ・校内にあった部室は、先輩が壁に落書きをしたことから使用禁止になったため、3年間、教室で着替えをした。 ・監督、コーチの車のナンバーを知らない部員はいない。 ・今でも夢で監督に怒られることがある。 ・野球部員は球技大会には出られない。 ・コーチとしてたくさんの人が来てくれたが、きついことを課すだけで技術的に成長することはなかった。 ・ランニングコーチを『ランマン』と呼んでいた。このコーチが一番精神的に追い込んでくれた。 ・根性で腹筋を強化するために「画鋲」は欠かせないアイテムだった。 ・入学当初の雨の日の練習は強烈。スクワット系が多く、翌日は階段をやっと上がった。 ・例年、市内vs汽車通学のバトルが行われる。 ・学食のおじさんから「硬式野球部は授業に出ていれば点数は大丈夫」といわれたことを真に受け、成績が下から三番目になったとき、おじさんの言うことが嘘だということに気がついた。 ・学食のおばちゃんと仲が良い。なぜか野球部員に優しく、時間外でも作ってくれる。 ・合宿の朝練習にF君が寝坊し、不参加であったが、誰一人としていないことに気がつかなかった。 ・合宿時に「起床5分前」と監督が各部屋を回ってくれた。起床前なんだから起こさないでほしかった。 ・合宿中に野菜を残して、朝4時からランニング。 ・合宿中になにかやらかすと起きる時間が早くなる。 ・練習帰りに立ち寄ったのは販売機がたくさん置いてある「24(にいよん)」。頭脳を生かし、アイスの販売機の「当たり」を出すタイミングを見つけ、連続で当てていた。 ・マシンで右打ちの練習をしているときに限って普段は打てないレフトオーバーを打ち、自分でボールを拾いに行っていた。 ・悪天候で練習が早く終わると、テンションが上がった部員が上裸になり、室内練習場でタイヤ叩きを始める。 ・悪天候でさらに練習が早く終わるときには、上裸のままヘッドスライディングをしてすり傷だらけになる。 ・やらかして「帰れ」と言われても帰らないのが普通だが、本当に帰ってしまった部員がいた。結局、帰っても帰らなくても怒られる。 ・1年生はティーバッティングのボールの上げ方で、まず先輩からぶち切れられる。 ・先輩が後輩に無理難題な一発芸をさせる。 ・突然、柔道場の屋根に上がってさけぶ先輩がいる。 ・筋トレ室で寝ている先輩がいる。 ・トイレが1つしかないので、取り合いになる。 ・練習前は洋式トイレを使いたい部員が続出するため、部室につくなり大声で順番の予約をする。 ・常にトイレ掃除をしている部員がいる。 ・隣のスーパーに食料を買いに行って、それを食べて自主練を終える部員がいる。 ・アップの中の倒立や開脚前転などで、うまくできずにケガをしそうになる部員がいる。 ・冬のアップ後は体中から湯気がでる。 ・雪上インターバル走では、走力はもちろんだが、長靴のフィット具合も勝敗を左右する。 ・冬場の体力トレは毎年きついメニューが新たに増えていく。 ・その年最後の練習では、何人かの部員が自主的にその年の数だけ連ティーをし、練習を納める。 ・バレンタインデーに後輩からチョコをもらう。 ・小テストを何度やっても合格できないせいで草むしりをさせられる。草むしりを終えて、冬になったら一人で職員室の近くで練習をしている元気な部員がいる。 ・課題を提出していないことがバレるとブルペンに机を置かれ、練習中に勉強をさせられる。全く集中できない。 ・テスト期間になると補習に参加する部員だらけで、練習人数が少なくなりとても疲れる。 ・鳥の飛ぶ影を野球のボールと間違えてビビる。 ・怪我をしてるのに遊んでいるのをみつけられ、雪道を100メートル100本走りました。 ※現在はこのような事はありません! 監修:昭和60年代野球部OB有志一同&伊藤康夫監督世代 |