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スポーツ心理学から学ぶ
子供たちの育成・指導


      

― 似て非なる言葉  ―

「個人優先」や「個性尊重」が、吹聴されるようになって久しい。
人間一人ひとりが姿も考えも違い、それぞれ社会に必要とされて生まれているのだから、この言葉が重んじられて当然のこと。
ところが近時、この言葉の真意を誤解しているのか、自己中心的行動をとる人が多くなっているように思われる。
例えば、子どもの通う学校に理不尽な要求や抗議を行うモンスターペアレント。
マスコミで報じられた具体的な例をあげると、「家で掃除をさせていないから、学校でもさせるな」「アルバム写真でなぜ、ウチの子が端っこか」「ピアノの技能はウチの子が一番なのに、合唱の伴奏が別の子なのはおかしい」など。
身勝手に振る舞うことを、“個性”とでも思っているのだろうか。
筆者の住む地域の小学生のスポーツクラブ(野球)でも、それと似たような例があったと聞いたことがある。
練習後、子どもたち全員で、グラウンド整備をしているとき雨が降ってきた。
即時にあるお母さんが傘を持ってグラウンドに入り、自分の子どもに傘をさしながらついて回った。
見かねた監督が「みんな同じなのだから、お母さんグラウンドから出るように」と注意したら、「この子が濡れて風邪をひいたらどうするんですか」と反発したという。




「大事にする」と「過保護にする」は違う。
「褒める」と「甘やかす」、「自由伸び伸び」と「けじめのない生活」、それに「放任する」と「信頼する」など、 いずれも似て非なるもの。
心も体も、苦難困難に耐えてこそ強くなれるのだ。
人間は元来、「自己本位」に行動するように生まれている。
それをコントロールする「しつけ」や「教育」をしなければ、不適応行動をとるようになるのは当然だ。
世の中、個人では生きていけない。
違う者同士が互いの存在を認め、互いに協力し合うという気持ちがなければ、集団生活は成り立たないだろう。


ノースアジア大名誉教授
伊 藤 護 朗


~ profile ~

伊藤 護朗(いとう ごろう)
秋田経大付高、秋田経法大付高(現 明桜高)の部長、監督として甲子園3回出場
秋田経法大野球部として全日本大学野球選手権大会(神宮)に2回出場
秋田県アマ野球連盟会長を経て2014年4月から秋田県野球協会 会長(現職)
北東北大学野球連盟顧問
ノースアジア大学法学部長、学生部長を歴任
平成8年ノースアジア大学教授就任
著書、論文、学会発表など研究業績多数
秋田市出身 71歳