『マスターズ甲子園とは』
マスターズ甲子園は、秋田県ではまだ馴染みがない大会ではありますが、今年で16回目を迎える大会です。
高校野球の名門校や春夏通じて一度も甲子園出場がない高校のOBが、下は高校を卒業したばかりの19歳から、上は75歳(今大会参加者の最高齢)まで、世代を越えた同窓会チームを結成し、「聖地・甲子園」という夢の舞台でもう一度あの頃に戻り白球を追う。それがマスターズ甲子園。
『2019大会への参加の経緯』
平成27年に私の母校である秋田南高校野球部OB会が秋田県で最初に加盟し、秋田県幹事校に就任しました。
以後、私は幹事校事務局として他校OB会からの協力をいただきながら秋田県内の高校野球部OB会へマスターズ甲子園への加盟を募ってきました。そして約5年の歳月を掛け、出場規定となる県8校以上の加盟を達成し、来年度の出場権を得ることとなりました。
来年の出場に向けて大会関係者に情報を聞くにあたり、「現地で見て、体感してください。すばらしい大会ですよ。」この一言で、今年のマスターズ甲子園2019大会へ向かうことを決意しました。
『大会運営について』
まずこの大会は、神戸大学の学生を中心にボランティアの方々ですべて運営されていました。今回もスタンドの応援団、ブラスバンド、ボールボーイ、ジャッジをする審判員、果てはトレーナーから医療スタッフまで、全国から集まってくれたボランティアの方々でした。
約400名のボランティアが聖地での野球を楽しんでもらおうと活動しており、初出場でも野球に専念できるよう、集合から誘導、そして選手起用のアドバイス(なんせベンチ入りは50名ですので)、そして解散まで、細部にわたり対応しておりました。
『いよいよ開会式』
開会式は、夏の高校野球選手権と同じファンファーレから始まり、「栄冠は君に輝く」の演奏の中、各チームが入場してきます。
亡くなった球友の遺影を持って入場する選手、子供のような満面の笑顔で入場する選手、感極まり涙しながら入場する選手もいて、甲子園は何歳になっても憧れの場所であることを再認識させられました。
『審判員としても参加』
私は秋田県審判部において審判員をしていることから、大会運営を漠然と外から見るのではなく、内部からも運営する一員として見てみようと審判員ボランティアにも登録し、配置された試合は、なんとあのPL学園戦。往年の高校野球フアンなら、胸の「PL」のロゴは涙ものです。
私が配置となったPL学園(大阪府)対利根商業(群馬県)の試合前、阪神園芸の皆さんがグラウンド整備をし、グラウンドに散水する光景は、TVで見る高校野球中継と全く同じで、この時点で感動・・。
『いよいよ試合開始』
そして試合開始に合わせ審判団、選手が飛び出し、両チームの選手が整列した時は、自分が今、あの「聖地・甲子園」に立っている事が信じられず、また、その感動で鳥肌が立ちました。
大会関係者によると、このPL学園の試合、とかく桑田投手を一目見ようと、通常の5倍の観衆が甲子園に訪れていたとのことで、内野席は満席でした。
試合中は両チームの選手とも終始笑顔で、お腹が出ていてなかなか前に進まなくても全力疾走、足がもつれてもボールを捕りにいく、得点が入ると親子ほど年の離れた先輩後輩が抱き合い、安打を放ち塁上で嬉しさのあまり泣き出す選手等々、甲子園を満喫しているようでした。
私も、審判員としてあの銀傘とアルプススタンド、緑の芝生と黒い土、そしてスタンドからの大声援を満喫しておりました(正直、どんな判定をしたのか、どんな試合展開だったのかは全く覚えておりません・・)。
『試合終了後には』
ゲームセット。両チームの選手、審判員がホームベースを挟みお互いの健闘を称え、握手をし、試合中に大声援を送ってくれた応援団、ブラスバンドのボランティアへ感謝の一礼をして終了。
ベンチから引き揚げ、甲子園中継でもお馴染みの監督インタビューも同じ場所、そして同じお立ち台で行っており、まるで本当に甲子園出場を果たしたかのような夢のような時間を過ごせました。
『最後に』
2020年大会の秋田県代表チームは大会初日の第2試合、奈良県代表と対戦が決まっています。
これまで秋田県高校野球OB交流戦として開催してきた大会も、甲子園予選と名前を変えて来年は開催です。
高校野球OB会で、もう一度聖地を目指してみよう、下火になりつつあるOB会活動の起爆剤として加盟してみよう。そんなOB会の加盟をお待ちしています。
夢、ふたたび。
あの「聖地・甲子園」へ
~ profile ~
松田 一秀(まつだ かずひで) 1970年生まれ 秋田西中-秋田南高-秋田経済法科大 現在は秋田南高校野球部OB会マスターズ甲子園担当、全国高校野球OB連合会秋田支部幹事校事務局 |
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