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 秋田を離れ10年が過ぎた。
 最近、久しぶりに会う同級生や高校時代のチームメイトとの野球談議の中で、「お前って野球好きだったんだな」とよく言われる。
8歳で野球を始めてから、決してずっと野球が好きだったわけではない。『準硬式野球』と『東南アジア野球』この2つに出合ったことで、野球の楽しさを知った。そして私の今がある。

 思い起こすと大学を受験する際に、硬式野球を続ける選択肢はなかった。東京の大学で教員免許を取得し、卒業後は秋田に戻って高校教諭になって野球の監督をしたい。そうした目標を抱きながらも考えていたのは、大学で野球漬けの生活を送って果たして教職課程の勉強はできるのか?野球しか知らない狭い視野で教諭になったときに生徒に社会というものを教えることができるのか?高校生なりにそんなことを考えていた。そして辿り着いたのが、帝京大学への入学、準硬式野球部への入部だった。

     

『準硬式野球』

 大学を卒業し、現在は帝京大学準硬式野球部の監督を務めており、来年で5年目になる。
 一般的に知られている硬式野球、軟式野球の他に準硬式野球という競技があることは、野球をやっている人にさえ、あまり知られていない。違いはボールのみで、見た目は軟式、中身が硬式、それが準硬式野球である。
 準硬式野球は大学の部活動が最も盛んであり、準硬式野球人口のほとんどが大学生でもある。近年、野球人口そのものが減少している中、準硬式野球をプレーする学生の数は年々増加している。
 その背景には、硬式野球と軟式野球の間のちょうどいいバランスが準硬式野球に存在するからであると考える。例えば、ほとんどの大学の準硬式野球部ではセレクションを実施しておらず、入部する条件は厳しくない。怪我や何らかの理由で一度野球から離れた学生、まれに野球未経験の学生が入部してくることだってある。
 入部後は学業が優先で、自分の取得したい講義、ゼミナールを選択でき、アルバイトも許可している。
 競技性で言うと、硬式野球に近い打感やスピードがあり、上位チームのレベルも高く、最近ではプロ野球や社会人企業チームに進む選手もいる。
 学生に入部動機を聞くと、
「アルバイトをして自分で生活費を捻出しながら野球を続けたい」
「一人暮らしをしながら自分の時間も大切にしたい」
「高校では怪我の影響で硬式野球部に入部しなかったが、準硬式野球をステップに大学を卒業してから硬式野球をやりたい」
「高校は軟式野球部だったが、より高いレベルで自分を成長させたい」
など、各々様々な思いやきっかけで、たくさんの学生が入部してくる。4学年で100名を超えるときもある。

 現在は、公務員などの就職試験対策で早期引退をする学生もいれば、プロ野球を目指す学生もいる。こうした多様性の中でいろんなことを受け入れ、自分自身で頑張りきれる人間が成長すると思っている。指導者である私も多様性を認め、可能性にどんどんチャレンジさせてあげたい。
 準硬式野球という環境は学生の将来の可能性を生み出し、広げられる舞台である。大学によっては専用球場がないところも多く、練習時間の確保も難しいため、もの足りなさがあるかもしれないが、そこにやらされている野球は存在せず、学生が野球をずっと好きなままいられる。自発的に自主的にのびのびとプレーをする。
 野球本来の楽しさが準硬式野球にはある。

     

『東南アジア野球』

 監督業の傍らで、東都大学準硬式野球連盟理事兼選抜チームコーチとして、ASEANを中心とした東南アジアの野球普及と発展のサポートに関わらせていただき4年目になる。
 きっかけは日本大学準硬式野球部コーチの杉山智広との出会いであった。杉山氏は日大三高が2001年に甲子園で優勝した時の主将で、高校、大学で選手として日本一、そして指導者としても日本一になった尊敬する野球人である。
 その杉山氏から、「インドネシアへの野球発展、普及活動を進めていきたい。取り急ぎ2週間後にインドネシアに行くから一緒に来て欲しい」と打診を受けた。それが全ての始まりだった。

 野球は世界的にはマイナースポーツで上位国もほぼ固定されている。野球がなかなか世界に普及発展しないのは、日本も含め、強豪国がその力を自分たちだけのものにしているからである。そうした行動が国際的にはもちろん、国内的にも閉鎖的なスポーツになってきている一因であると感じる。今や国内でも野球だけ遅れていると感じる事象がたくさんある。これでは野球人口の減少も進む一方である。
 そうした思いから、まずは我々の連盟が舵を切り、普及発展活動を進めていくことにした。もちろん難題は多い。野球に限ることではないが、教えるということは同時に責任も負うことになる。一度だけの形式的な野球教室では全く意味がない。教育支援も物資支援も継続することが大事である。

 初めてインドネシアで野球教室を行ったときの衝撃は今でも忘れられない。土が見えない野原を笑顔で駆けまわる子どもたち。どんなに整っていない環境や道具でも笑顔を絶やさず、泥だらけになってプレーをする。野球本来の楽しさがインドネシアにはあった。
 2年目には、インドネシア青年スポーツ省と2020年までの継続的な教育、物資の支援を行う締結を交わした。こうした継続的な活動は近隣国に広がり、3年目にはフィリピンとスリランカが参加。
 4年目の今夏に開催した指導者養成プログラムにはインドネシア、フィリピン、スリランカ、ベトナム、ブルネイの5か国から指導者や将来指導者を目指す代表チームの現役選手が参加してくれた。
 今年11月のプログラムでは東都準硬式野球連盟選抜チームとインドネシア、フィリピン代表チームの試合を行い、また、継続して行っている野球教室は延べ1000人が参加してくれるなど規模が大きくなっている。

 日本から参加している学生にとっても貴重な経験になっていることは間違いない。日本にいれば感じることのない難しさを越えたときに、その感動を互いの国の仲間たちと共有することが、野球を通じた国際交流の素晴らしさであると思う。
 このプログラムを経験した学生たちはまさにこれから東南アジアの方々とも手を取り合っていく最前線に立つ世代である。何かのときに自然と手や言葉を差し伸べることのできる人間になってほしいと切に願う。

『準硬式野球』と『東南アジア野球』の存在が、未来に繋がる野球でありたい。
 想いをカタチにできるようこれからも頑張ってまいります。

~ profile ~

浅野 修平(あさの しゅうへい)

1990年生まれ
秋田県秋田市出身
寺内小-泉中-新屋高-帝京大
現在は、帝京大学準硬式野球部監督、東都大学準硬式野球連盟理事兼選抜チームコーチ