野球というスポーツに於いて、特に投手は「試合や練習で多く投げた後にはアイシング」というのが一般的では無いかと思います。
ですが、現在はメジャーリーグを始め、日本のプロ野球界でも「投球後のアイシングは必須では無い」というのがスタンダートになっています。
その背景には、2000年を過ぎた辺りから、アイシングに対する否定的な論文が相次いで発表された事が大きく関係しています。
現在も殆どのスポーツ現場で当たり前のように行われている「RICE」処置は、1978年にDr.Gabe Mirkinが提唱し、その効果の高さと簡便さから、怪我が起きた際の応急処置のゴールドスタンダードとして瞬く間に全世界に拡がりました。
「RICE」はそれぞれの行為の頭文字であり、「R=Rest安静」「I=Icing冷却」「C=Compression圧迫」「E=Elevation挙上」となり、『怪我の悪化防止、早期回復に寄与する行為』とされてきました。
しかし、研究・技術の発達により、特に「Icing冷却」に対する効果が疑問視され始め、提唱者であるDr.Gabe Mirkin自身も、2014年に「RICE処置に於いて、RESTとICEは治癒を助けるのではなく、むしろ遅らせる可能性がある」と述べたのです。
アイシングは「冷やす事によって血流を制限し、炎症の軽減と二次的な損傷の抑制する」「痛みを軽減させる」事を目的に行われる行為ですが、そもそも「炎症」とはどのような現象なのでしょうか?
簡単に言うと、炎症はトレーングやスポーツ動作、怪我等、何らかのストレスで組織が傷付けられた際に、組織を治そうとする過程で起こる、人間が本来持っている自然な生体防御反応であり、炎症反応の後に炎症細胞や繊維芽細胞といった、組織が治る為に必要な細胞の増殖が起こります。
と言う事は、炎症は悪者では無く、「炎症=組織を回復・治す為に必要なプロセス」であり、悪戯にその反応を止めてしまうと、その後に起こる組織の回復・成長自体を妨げてしまう恐れがある、というのがアイシングを否定する論理の背景です。
そしてこれはアイシングに限った話では無く、消炎効果のある薬剤も含めて『炎症を低下させるものは全て、組織の回復を遅らせる可能性がある』という事です。
私は現在、担当しているチーム、選手に対して、基本的に投球後の肩~肘に対するアイシングは強制では無く、自己判断で行う様に指導しています。
その様な背景として、以下の様な理由が挙げられます。
①アイシング後は冷却した周囲の活動を阻害する
アイシングは「冷やす」という特性上、冷やされた細胞の活性を妨げます。
よって、代謝が遅くなり、筋細胞であれば伸張性や筋力の低下、神経細胞であれば伝達速度の遅延、柔軟性に関わる結合組織では、
組織間の粘性が上昇し(硬くなる)、可動域が低下し、動作が狭く、ぎこちなくなってしまいます。
「アイシングをした次の日は肩の動きが悪い」「感覚がずれる」という経験をされた方も多いと思いますが、それは上記が原因です。
よって、微妙な感覚に拘るタイプの選手、可動域を大きく使って投げるタイプの選手、逆に身体が硬いタイプの選手には、特にアイシングは勧めていません。
②アクティブレスト(積極的休養)の習慣がつかない
野球では「おさめる」という言葉が肩~肘のコンディショニングに関して良く使われますが、殆どが軽いキャッチボール+アイシング+安静という流れです。
肩関節は人体の中でも最も大きな可動性を持つが故に、靭帯や筋肉等の周囲組織の働きに大きな影響を受けます。
関節が正常な働きをする為には、周囲の筋肉、神経が正常に働き、靭帯や関節包と言った関節を支持する組織が正常な強さと可動性を持つ必要があります。
よって、ただ投げて冷やすのではなく、投球後にもチューブ等を使った肩のエクササイズや肩甲骨のドリル、周囲組織のストレッチングなど、「どの方向にも動き、固定出来る」状態を『作る』事が重要です。
③痛みを察知する能力が養われない
アイシングで起こる大きな反応として「痛みの軽減」がありますが、これに関しても注意が必要です。
痛みは身体の持つ重要なセンサーであり、異常な状態を知らせる為に身体に備わっている大切な機能です。
そのシグナルのみを消してしまう事で、更に重度の損傷に至ってしまったケースも多く報告されています。
「痛みは原因では無く結果」であるので、その原因を特定せず、一次的に痛みを止めたとしても、その原因が解消されない限り痛みが消える事は有りません。
痛みにも種類があり、科学的根拠は乏しいですが、アスリートにとって「これは大丈夫な痛みだ」「これはちょっとマズい痛みだ」という、
ある意味『痛みとの付き合い方』は重要な能力であると考えています。
特に子供の時期に痛みを消してしまうと、「痛みと向き合う」という感覚が養われないまま成長してしまう可能性があります。
痛み止め(薬)や湿布、電気刺激に代表される対症療法では無く、痛みを発する原因を探し出し、その問題を解決する努力をする事が、結果として根本的な解決に繋がると考えています。
このように書いてしまうと、「アイシングが悪い!」と決めつけてしまいそうになりますが、それはやや早計です。
アイシングには、上記に挙げた「痛み、張れの軽減」に加え、「感覚的な爽快感、疲労回復感」という効果も認められています。
野球の現場で考えると、アイシングをした方が良いケースは、
・登板間隔が2日以上空いている
・痛みがある
・腫れがある
・主観的に、アイシングをした方が調子が良いと感じる
といったケースが考えられ、逆にしない方が良いケースとしては、
・連投、連戦が想定されている
(翌日に動く事が分かっている)
・関節可動域を確保したい
・成長期である
・投球感を維持したい
・身体の重さを感じたくない
といったものが挙げられます。
アイシングを行う事で起きたデメリットを、エクササイズやトリートメントで補う、という方法はトップアスリートの世界では良く使われる方法で、時間も費用も掛かりますが、特に回復力が低下しているキャリアの長いベテランアスリートにはお薦めの方法の一つです。
トレーニングやストレッチ、食事等でも言える事ですが、一つの方法論や経験則で解決出来るものは多くはありません。
「投げたらアイシング」という短絡的な対応では無く、アイシングをする事によって得られるメリット、デメリットを考え、その上で今の身体の状態に応じて、主体的にどんな対応をするべきか、という思考回路を持つ様にすれば、アスリートとしても成長出来ると思います。
最後に、怪我や痛み等で身体に不調を感じた際は、自己判断をせずに必ず医療機関を受診し、アイシング等の対応に関してもトレーナーなど専門家のアドバイスを受けて実施するようにしましょう。