「体力があって初めて気力が生まれる」(下)
采配の中でスクイズを多用したのは、自身の経験からだった。 夏の選抜で有名チームが三本間に挟まれてアウトになっている光景をテレビで見て、何かいい方法はないかと考えに考えて編み出した結果の“100%スクイズ”だった。 これに関しては、あの時の自分を褒めてやりたいと今になっても思う。 たまたま旭川実業に教える機会があった時に徹底してこのスクイズを教えたところ、その夏にこのチームは100%スクイズで勝利を収めたのだった。 元巨人の原辰徳監督が現役時代の時に、打法を直すためにと米大リーグ・ドジャースのラソーダ監督が上から球を落とすティーバッティングを行ったという記事を見て、自分はもっと早くからやっていると優越感を感じたことも鮮明に覚えている(笑)
自論として、バッティングはある程度のセンスが必要となってくるが、守備に関しては、練習次第では強豪校に引けを取らないレベルまで上げることができると思っていた。 そのために速いノックを用いた練習が必要となった。 そこで“マシンガンノック”が生まれたのだった。 平成7年に星稜高(石川)の山下智茂監督は1分間でシートノック129回に対し、自分は134回。 あれは嬉しかった(笑)
今まで、いろいろな監督と会ってきたが、県内で対戦するのが楽しみだったのは小野平監督だろう。 中央地区の決勝の時だった。 お互い意地があり、こちらはどこまでもスクイズ。 それに対抗して向こうは内野を5人、外野を2人に配置してきた。 後にも先にも、そのように内野を持ってきた監督はいなかった。 それでも私は意地でスクイズサインを出して成功させた。 意地のぶつかり合いだった(笑) それだけ彼には、強く対抗意識を持っていた。
“嶋﨑野球”とは?と聞かれると、『精神野球』、それが一番だろう。 体力があって初めて気力が生まれる、それが原点。 だからこそ、3年間付いてきてくれた選手たちには感謝の言葉しかない。
今、高校野球の監督という立場にいる人たちには、もっともっと勉強してもらいたいと思う。 監督同士が仲良しすぎるようにも思う。 あくまでも敵なのだから、監督同士がライバル心を持たなければならない。 『自分のやりたい野球』のビジョンをしっかり持ってもらいたい。 その信念を貫くためにたくさん勉強が必要となってくる。 自分が必死になっていれば選手はきちんとわかってくれるだろう。 そして何よりも大事なことは“情熱を持つこと”だろう。
秋田の高校野球は、いつの間にかレベルが低くなってしまった。 逆に今までは弱かった県が、強くなってきている。 やはり監督の情熱、信念が実を結んだ結果なのではないだろうか。
“甲子園のグラウンドでインタビューを受けたいー” 私が掲げていた夢は未だ実現していない。 たった一度だけの人生。 もしまた監督要請の話をいただいたとしたら、賭けてみたいと思う。 自分の夢を叶えるために、もう一度チャレンジしてみたい。 自分を魅了した『甲子園』という三文字に。 もちろん体力は落ちただろう。 しかし、ノースアジア大学での監督経験も積んだことで、あのころの自分よりパワーアップしたと思っている。 「日々努力」「日々勉強」と選手たちにはいつも教えてきたが、それは私も同じ。 まだまだ努力する余地はあると思っている。 テレビで高校野球を観ていても、“指導者”の視点で観ている自分がそこにいる。
いろいろな思い出が残せて、いろいろな夢が持てる。 そんな野球は私にとっては人生。 最高峰まで野球をやる選手は一番幸せだと思う。 そうやって野球をやる喜びを感じる事ができる体に生んでくれた父、母には感謝すべきだろう。 感謝の言葉なしに野球はできない。
野球の深さにはいつも感激する。 例えば、知らない地に転勤で行っても、仕事先で野球関係者に会うと、卒業年、同期選手、練習試合の有無などの話題でつながることができる。 野球部を辞めずに頑張った選手たちは、それだけ強いつながりを持てる。 ある時、「嶋﨑監督、僕のことを覚えていますか?」と声をかけられた。 しかし、3年間部に残った選手以外は覚えていなかった。 それを伝えると彼は、「1年生の途中で部活を辞めたことを今でも後悔している」と言った。 「結婚してまだ小さい男の子がいるが、あの時の後悔があるから、自分の子供には高校野球をやらせて、卒業するまで自分は必死に頑張ります。自分の夢を子供に託します」と。 これもまた野球の素晴らしさだと思った。 辞めるのはいつでもできる。 苦しくても、辞めたいと思っても、頑張ることに意味がある。
高校を卒業して50年経つが、あの時の12人の仲間たちと菅原監督で毎年1月3日は新年会を50年間欠かさずにやっている。 それが毎年恒例の楽しみであり、その絆は誇りに思っている。
≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫
~ profile ~
嶋﨑 久美(しまざき ひさみ)氏 昭和23年生まれ 秋田県五城目町出身 甲子園出場回数:夏4回、春3回 甲子園戦績:計7回、8勝7敗 県内唯一の勝ち越し監督 |