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Q  野球を始めたきっかけは?
A  物心がついたときには、ボールとバットを握っていた。遊びが野球だったので、毎日のように野球をして遊んだ。
小学4年から部活に入り、本格的に野球を始めた。小・中、高校とピッチャーをやった。稲川と言う土地柄、夏は野球、冬はスキーで体を鍛えた。
身長は当時から大きい方だったが、体の線は細かった。「今はだいぶ丈夫になりました」(笑)。

Q どんな選手だった?
A  小学校のときは、プロになって当然の選手と勝手に思い込んでいた。
中学に入り、プロ野球選手になりたい、と思うようになった。高校に入り、プロにはなれないと気付いた。
中学3年の全県大会出場をかけて、湯沢北中との決勝戦。前日の14回延長を投げての登板に、暑さと疲労で試合途中に倒れた。
そのため、全県出場を逃した苦い思い出がある。

Q  高校進学は?
A  稲川中から親元を離れ、秋田商業硬式野球部の門をたたいた。
予想をはるかに超えた厳しい練習、下宿生活と生活環境が180度変化した。下宿生活では、夜になると寂しさを感じた日々もあった。
しかし、厳しい練習、先輩との上下関係など、心の余裕すらなく、寂しささえも感じなくなるほどだった。
必死で頑張ってきた練習も、1年の秋に体調を崩し、半年間の休部を余儀なくされた。さすがに辞めなければいけない、と覚悟を決めた。
周囲の支えもあり、なんとか復帰することができた。が、その後の練習はさらに厳しく感じた記憶がある。
甲子園を夢みて秋田商に進んだが、再び3年夏の大会直前のけがで投げることも、バットを振ることもままならない状況だった。
しかし、代打で出場し、タイムリーヒットを打つことができたのは一生の思い出だ。
3年間、甲子園は遠い存在だった。

Q  その後の野球人生は?
A  軟式一般では、羽後交通、タプロス、佐藤養助BCでプレーした。
壮年ではUKKクラブ、高津野111でプレーし、450歳では湖東クラブ、500歳は黄昏タイムリーズに所属している。
いろんなチームで野球をしてきたが、どれもいいチームだった。
野球が好きなだけに、声を掛けられると、断れない。
ドラフト会議で、指名されているような気持ちになる。(笑)
現在は、高津野111と湖東クラブと黄昏タイムリーズを掛け持ちしている。

Q  印象に残っている選手(憧れの選手)は?
A  高津野111(壮年)で一緒にプレーしている佐藤徹投手。
自分より年上だが、物すごい投球には毎回驚かされる。今は追いつけ、追い越せだが、いつかは越えたい目標とする選手だ。

Q  忘れられない試合は?
A  たくさんある試合の思い出は、自分にとってどの試合も同じくらい大切なものだが、やはり、勝った試合よりも負けた試合の方が忘れられない試合が多い。
その中でも思い出深いのは、やっぱり高校3年の夏の大会。甲子園を目指して頑張ってきて、水林球場での3回戦、秋田工に敗れた。秋田の聖地、八橋球場まであと1試合だったが、八橋球場で試合ができなく、悔しい思い出として残っている。

Q  野球で学んだことは?
A  「人に対する感謝の気持ち」。
本当にたくさんの人に支えられ、今日まで野球をやってこれられた。
職場、家族の協力があってのことなので、本当に感謝している。
シーズン中は、休日に家に居ないので・・・・(笑)

Q  目標は?
A  「全国制覇」
この年齢で全国制覇となると、大会も限られるが、現役選手として全国制覇にこだわってやっていきたい。
「全国制覇のかかった試合で、ホームランを打って、胴上げ投手になれれば最高だね」
そのためには、練習と体調管理をしっかりやらないといけない。これが大変だが、楽しみながらマイペースでやっていきたい。

Q  ここまで駆り立てるものは何か?
A  今までの野球人生では、大事なときにけがや体調を崩していた。そのため、いつも不完全燃焼だった。
この年になって恥ずかしいが、今は野球がやりたくてしょうがない。
毎日、毎日野球がしたい。そんな気持ちで過ごしている。
若いときの不完全燃焼がエネルギーになって燃焼に変わった。
「高校のときに、こんな気持ちがあれば“甲子園”にも行けたかもしれませんね」

Q  鈴木さんにとって野球とは?
A  人として成長するために、自分を磨いてくれるもの。
今まで、すべて野球を通じて学んできた。これからも野球を通じてたくさんの事を学ぶと思う。
「心も体も日々成長です」



《編集後記》
高校時代より、生き生きとした姿でグラウンドを走り回る。何かから解放され、本当に少年のように野球を楽しんでいる姿が印象的だ。現在は、高津野111、湖東クラブ、黄昏タイムリーズに所属しているが、野球をしている姿はまさに「野球小僧」だ。
これからの益々の活躍を祈る。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫


~ profile ~

鈴木 敏(すずき さとし)氏

昭和42年6月 湯沢市(旧稲川町)生まれ
稲川中―秋田商高
羽後交通-株式会社エル・ピー・ジー(勤務)