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Q  野球をはじめたきっかけと時期は?
A  小学4年生のころ、友人たちと遊びで始めました。
バットは、自分で切ってきた木で作ったものでしたね。
空き缶を拾って、それを売りに行って得たお金でグローブを買いました。
友人たちを集めて張り切って缶拾いをしたことを覚えています。
小学校には野球部がなかったので、本格的な野球ではなく、ただの遊びの野球でしたが、それでも野球をやりたかったんです。

Q  小・中の戦績は?
A  5年生のときに、先生から「独自でチームをつくって男鹿市の野球大会に出てみよう」と言われて出てみたところ、中学生相手になかなか良い試合ができたんです。
私はピッチャーとして登板したのですが、ほとんど打たれることもなく、0-1の惜敗でした。
その試合を見ていた脇本中の野球部の監督が、小学6年の夏から、私を中学校の練習に参加させてくれました。
しかし、中学校に上がってからは特に優秀な成績を残すことはなかったですね。

Q  高校野球の思い出は?
A  金足農に進学しましたが、高校3年の夏の大会でのことです。
大会前に足首を捻挫してしまい、味方にも相手にも知られないようにと、我慢しながらも、全試合投げ抜きました。
結局、準決勝まで進んだものの、秋田高に負けてしまいました。
夏の大会は、連戦連投となり、だんだんと疲れがたまっていくものですが、私は毎日、人の倍以上の練習量をこなしていて、体力には自信があったので、疲れなんて感じなかったです。
周りのピッチャーが疲れで力を発揮できない中、常に全力投球できていたのは自慢でしたね。

Q  TDK入社後は?
A  入社後は、都市対抗本戦まではなかなか進めず、東北大会までしか進めない状況が何年も続いていました。
他チームの補強選手にも選ばれたりしていましたが、そこでも東北大会まででした。
ようやく本戦に進めたのは、入社から7年たったころでした。
しかし、私は後楽園球場で投げることはなかったです。
この年を最後に野球部から離れました。
それからは仁賀保ドリンカーズというチームに入って野球を続けました。

Q  小学生、中学生を指導するようになった経緯は?
A  1995年11月に、本荘南中の加藤光教という生徒が、「指導してほしい」と突然私のところへ来ました。
本荘南中はTDKのOBが指導していたのですが、「ピッチャーのことなら三浦に聞け」と言われた、とのことでした。
指導は初めてでしたが、自分なりに教えられることはすべて教えました。
ちなみに、その加藤光教君は甲子園にも出場して、中日ドラゴンズに入団しましたよ。
あるとき、金足農の菅原泰雄元監督から秋田県の野球指導員になるよう勧められ、資格を取りに行きました。
その時はもう50歳を過ぎていましたが、一生懸命勉強して資格を取りました。
そして気が付いたら、教え子は今現在で400人を超えていました。
その中で甲子園に出場した選手は24人います。

Q  指導で一番大切にしていることを教えてください
A  一番は“怪我をしないように”ですよね。
そして“基本”。
捕る、投げる、打つ、走る、すべてにおいて“基本”が大事なんです。
基本を忘れてガムシャラにプレーしてしまうと、怪我にもつながってしまいますから。
指導用ノートもすべて手書きで、要点をおさえて分かりやすくするようにしています。
先日、東日本大会で教え子の全農あきたの小番大輝とたまたま会ったのですが、「思うように打てない」と言われました。
私が伝えたことは、“基本”だけでした。
その試合で彼はホームランを打ちました。
私自身も熱中してしまうとつい忘れがちですが、やはり“基本”を忘れてはいけませんね。
生徒に教える前に自分自身で試してみて、良かったものだけ教えるなど、私自身も今でも日々勉強ですよ。

Q  野球にとりつかれた理由を教えてください
A  ただ、「好き」だからでしょうか。
野球の奥深さも素晴らしいですよね。
体を動かす、仲間と楽しめる、いろいろな魅力が野球にはありますよね。
野球が好きだからこれまで続けてこられたと思います。
毎日、どのくらい練習したのか、どのくらい走ったのか、細かく記入して自分のノートを作っています。
気が付いたこともすぐにノートにメモをして、忘れないように、今後に生かせるようにしています。

Q  生涯で一番印象に残っている試合を教えてください
A  やはり秋田高との準決勝で藤原選手から打たれたホームランですね。
実は、夏の大会前の能代選抜で、彼に痛烈なサードゴロを打たれていたんです。
打ちとったものの、私はその打球、その瞬間が忘れられなかったんですよね。
それが脳裏に残っていて、力が入りすぎてしまって打たれたのではないかと思っています。

Q  これからの目標は?
A  “健康第一、死ぬまで野球”。
自分よりも年上で野球を頑張っている方々を目標にしてやっていきたいです。
上手、下手なんてどうでもいいので、とにかくグラウンドに立っていたいです。
“100歳まで現役”を目指しますよ。

Q  三浦さんにとって野球とは?
A  “人生”ですよね。
健康管理にもつながっていますし、生活のすべてです。
まだまだ技術力をアップさせて、体力も維持していきたいです。
ここでもやはり必要なのは、“基本”ですよね。
基本を忘れることなく、いつまでも元気に野球を続けたいですね。



≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫



~ profile ~

三浦 稔(みうら みのる)氏
秋田県男鹿市出身
昭和23年生まれ
秋田還球クラブ・仁賀保球友会所属