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Q  野球を始めたきっかけは?
A  父親とキャッチボールをしていたことが、スタートラインかな。
附属小学校に入り、3年時にクラスごとのチームをつくり、対抗戦をやったことが本格的な始まりです。

Q  野球経歴は?
A  小学校の時にスポ少に入りましたが、弱かったです。
附属中時代は、鹿角選抜や五城目選抜では優勝したんですが、中総体では勝つことはできなかったですね。
秋田高校に進学して、野球部に入部しました。
当時の監督は小野巧監督。
2年秋の東北大会で準優勝して翌春のセンバツに出場しました。
優勝したチームは仙台育英で、0-16の完敗。
準決勝で金足農が仙台育英に2-7で敗れており、どちらのチームが選ばれるのか、本当にハラハラでした。  
当時のベンチ入りは東北大会では17人。
でもセンバツでは15人で2人がベンチ落ち、という状況で、そのうちの1人が私でした。  
夏こそは、との思いでレギュラーを奪ったんですが、県大会決勝で経法大附・中川投手に敗れて甲子園出場はできませんでした。
直前の能代選抜で中川投手を打ち込んでいたことが、油断につながったかもしれません。

Q  高校卒業後の進路は?
A  一旦は野球から離れようと思いましたが、武蔵大へ進んでからは、やっぱり野球部に入っちゃいました(笑)
1年秋から試合に出たんですが、当時の首都リーグでは2部で、決して強豪大学ではなかったですね。
同じリーグには阪神に入団した藪投手がいて、本当に凄いボールを投げていました。

Q  これまでの野球人生で一番印象に残っている選手は?
A  仙台育英の大越投手ですかね。
ストレートも速かったですが、頭に当たると思って逃げたスライダーがストライクだったことは、驚きしかなかったですね。

Q  一番印象に残っている試合は?
A  高校3年時、県大会決勝で経法大附・中川投手に負けた試合です。
彼らが甲子園で準決勝まで進出したこともそうですが、打席に入った私に、1年生投手の中川君がとんでもない言葉を投げかけてきたんですよ。
頭にきて先制のタイムリーヒットを打ってやりましたよ。

Q  野球の魅力とは?
A   今、この年齢まで野球をやれていることは、息子と硬式ボールで野球をやりたいことがモチベーションの維持につながっています。
年齢に関係なく同じ土俵でプレーができることですかね。

Q  現在、監督兼内野手ですが、大変なことはありますか?
A  試合の展開、選手の状況、交代時期など、さまざまなことを考えることですね。
ただ、やっているうちに幅広く野球を見ることができるようになりました。
スポ少のコーチ経験したことも役立っています。
(兼任は)最初は無理かな、とも思いましたが、試合中には自分が2人いるような感覚です。
全国大会には久しく出場できていないので、西武ドーム(所沢)に行きたいですね。



Q  野球を通じて役立っていることは?
A  高校、そして大学時代は理不尽と思っていたことも、今となっては生きていますよね。
人とのつながり、仕事もそう。すべて野球とのつながりしかないですね。

Q  野球にとって大切なことは?
A  スポーツはなんでもそうですが、体が資本でしょう。
強い体(けがをしない体)が一番でしょうね。
そこに精神がついてくると思います。
この二つで素晴らしいパフォーマンスが発揮できるでしょう。
センバツでベンチ落ちしても、けがなく頑張ることができたことは、丈夫な体に生んでくれた両親のおかげです。
本当に感謝しています。

Q  最後に猿田さんにとって野球とは?
A  『生きがい』です。この言葉に尽きます。野球がなくなったら死ぬと思います(笑)

《編集後記》
 現在、能代松陵クラブで監督兼内野手として活躍しているのも、自身の経験を生かすことができているからこそと、感じる。
プレーすることも好きだが、監督就任してからは指導できる喜びも感じているという。
教え子からプロ野球選手を輩出したい、と夢見ている。
息子と同じ土俵でプレーすることが目標の猿田氏。職場で社長を務める父親への感謝も忘れない。
秋田のビジネスマン監督にエールを送りたい。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫


~ profile ~

猿田 由紀夫(さるた ゆきお)氏
昭和47年生まれ
秋田県秋田市出身
球歴:附属小―附属中―秋田高―武蔵大学―秋田銀行―ほうこう