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Q  三浦さんにとって野球とは?
A  生活の一部であり、暇さえあればバッティングフォームや投球フォーム、指導している中学生の練習方法、野球ノートの構成などを考えています。
特に車の運転中はほぼそんな事を考えて、ひらめいてはメモして…後に紹介する「野球ノート」は仕事が終わってから深夜12時ころまで作ったりしています。
ほどんど野球バカです(笑)

Q  野球に取り付かれた理由(魅力)は?
A  中学校入学時の身長は141cmで、投げても打ってもボ-ルが50~60m位しか飛ばない程のどうにもならない選手でした。
ただ野球が好きで甲子園を夢見る普通の野球小僧でした。。

Q  苦しかった練習の思い出は?
A  西目高校に入り、中田稔監督(2年の秋から)の厳しい指導のもと、金足農業高校との合同田沢湖合宿(地獄の合宿)をはじめ、冬は走り込み強化と基礎練習の徹底に費やしました。
特に田沢湖合宿については強い思い出がありますね。
スキー合宿と聞かされた西目高校野球部はスキーウェアを着てロビーに集合するが、そこにはジャージ姿の金農野球部がいた。
内心自分は「冬山をなめているな…ゲレンデは相当寒いよ~」と可哀想な目で見ていたが、一番可哀想だったのは自分たちだったんですけどね。
なんと連れて行かれた所は近所のグラウンドで、いきなりクロスカントリー(山~グラウンドの走り込み)を強いられたんです!
しかも先着5名に入らないと、いつまでも抜けられない!
スキーウェアを着ている場合ではなかった…西目高野球部は全員ウェアを脱ぎ捨て、必死について行きましたよ。
何とかイチ抜け組みに入りホッとした瞬間、金農・嶋﨑監督が「何で西目が入ってるんだ!」と怒り爆発。
頑張った事が逆に練習の厳しさにつながってしまいました。
そして走り込みは延々と昼まで続けられ、迎えた午後メニューは体育館でのサーキット。
さすがにこれにはついて行けず、金農野球部の練習量と精神力の強さには脱帽しました。
「今後の人生において、これ以上嫌な苦しいものは恐らくもう無いだろう」。そう思える合宿でしたよ。

Q  生涯で一番印象に残っている試合は?
A  軟式で初めて国体予選県大会に出場した際、1回戦で大潟ヤンキースにコールドで敗れました。
ボテボテのゴロでそつなく点を取られ、後にこれが勝つためのボンボン野球であった事にはじめて気付き、以来これを機にチームが変わったターニングポイントの試合でしたね。
また、平成18年 第31回クラブ選手権全国大会でのNOMOベースボールクラブとの一戦。
主砲小嶋基晴の2ランで逆転し、自身の3塁打で最終回まで3-1でリードとしながら、ソロ2本で同点とされ、結局、延長の末破れました。
勝ち切る難しさを痛感した試合でもありました。

Q  野球に関する宝物は?
A  野球を通じて出会えた人たちとそのつながりですね。
仕事やプライベートで野球をやっていて良かったと思える事がたくさんありました。
いつも支えてくれている家族、社員、チーム、そして周りの方々に感謝の心をもって、これからもお付き合いしていきたいです。

Q  野球に関するこだわりは?
A   常に向上心を持ってプレーする事です。
  年齢に関係なく、努力すれば技術はまだまだ向上するものだと思っているので。
当然、体力や瞬発力は年と共に衰えますが、技術である程度カバーする事は可能だと思っているので、日々どこまでも進化し続けて行きたいと考えています。

Q  野球ノートを作ったきっかけと活用法は?
A  本格的に地元の中学校野球部のコーチをして4年になりますが、仕事や自分の都合でどうしても週1回しか顔を出せないんです。
指導やアドバイスをしても1日だけではなかなか伝えきれないし、生徒が内容を理解出来ない事もたくさんあったため、画像や解説付きで分かりやすく表現したプリントを作成し配布する事で理解を早め、技術を身に付けてもらいたい、という思いから始めました。
最近では高校へ入学した教え子や、自身の母校(西目高生)からもメールで色々な質問があったりしては、このテキストをあげて参考にしてもらったりしています。

 

Q  選手と指導者を経験したことによる野球観の変化は?
A  今まで無意識でやって来たことを言葉で説明し、指導するのは難しいです。
また、自分が指導で言っている事をいざ自分が打席や守備、投球の際に100%できているかといえば、またそうでもない場合があります。
なぜ自分はできないのか? そこを考え、実際にプレーをして行くと、「伝えたい事以前に教えなければいけない事や、メンタルの持ち方・感覚」など、一言では言い表せないくらいのポイントがたくさんある事に気付くんです。
この様々なポイントのバランスが取れ初めて結果が出るのですが、本や話しだけの頭ではなかなか気付けないものです。
現役でプレーを続ける事によって、一つ一つの動きをどう教えていけば良いか確認出来るし、周りのいい選手から色んな話を聞け、それを実戦し確かめる事が出来ます。
時にはそこで、新たに発見する体の使い方もある…これが、なかなか現役を辞められない理由ですね。
自分は子供たちに近道をさせてあげたいと思い、分かる事をどんどん教えていった時期がありました。
しかし、子供たちは「ハイ!」と言いつつ、すぐ同じ動きに戻ってしまう日々が続きました。
ある本で「言われてすぐ出来る子は、忘れるのも早い。すぐ出来なくても、努力して形をつくった子はしっかりと身に付くものである」と言った指導者がいました。
教えるよりも、「上手くなりたい!」という気持ちにどうさせるか、色々な事に気付ける選手をどうつくるかが重要なのだと感じました。

Q  これからの目標は?
A  新たなる発見と野球の追求ですね。
子供たちが将来、上で勝負できるように育成し、サポートしていけたらいいな、と考えております。
結果、社会人やプロ野球へ入る選手が地元から出てくるようになるとうれしいですね。



≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫



~ profile ~

三浦 裕之(みうら ひろゆき)氏
昭和45年生まれ
秋田県由利本荘市出身
平成4年 第17回クラブ選手権全国大会(西武球場)出場:ベスト4【秋田王冠クラブ】
平成13年 第56回国民体育大会(みやぎ国体):第6位【TDK(補強)】
平成18年 第31回クラブ選手権全国大会出場:2回戦敗退【秋田王冠クラブ】
平成27年 日本マスターズ2015(石川県)出場【牛島エスポークラブ(補強)】
平成28年 日本マスターズ2016(秋田県)出場【牛島エスポークラブ(補強)】