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Q  野球を始めた時期ときっかけは?
A  中淀川小に通っていたのですが、当時の教頭先生が審判の資格を持っている人だったんですね。
その先生が、野球を教えていました。
それを見て、「野球やってみたい」と思うようになり、小学校3年生の時に友達を誘って入部しました。
小学5年のころに、協和地区の新人戦があったのですが、そこで並み居る強豪校を相手に、私たちが準優勝しました。
あの時は「快挙」だと周りも喜んでくれましたよ。
あの時のことは今でもはっきりと覚えています。
それから協和中学校でも野球を続けました。
高校では野球部に入りませんでしたが、近所の会社の社会人軟式野球チームで大人に交じって、ビールを賭けて野球をしていました(笑)

Q  その後の球歴は?
A  しばらくは野球から離れていましたが、28歳の時にPTA野球をやり始め、37歳の時に牛島野球同好会(後の牛島クラブ)に入部しました。

Q  監督になったきっかけは?
A  42歳の時に牛島クラブの若手選手として試合に出ていたのですが、交代してベンチに戻ると、「お前、来年から監督をやれ」と突然、吉田敏雄監督から言われたんですよ(笑)  
うまく状況がのみ込めずにいたのですが、今度は他の選手達がベンチに戻ってきたタイミングで、「来年から岩崎を監督にするから」と宣言してしまったんです(笑)  
そこから監督をやり始めました。

Q  野球の魅力は?
A  試合に勝った時の面白さは何とも言えないですよね。   
プレーヤーとして野球をやる事も楽しいのですが、ゼネラルマネジャーのようなポジションとして携わっている方がもっと楽しいんです。   
自分がつくり上げたチームが、他チームから「強い」と言われるのは快感ですよ!(笑)   
“チームづくりの楽しみ”はやめられないです。

Q  監督経験を通して一番印象に残っている試合は?
A  平成18年10月に開催された第53回 全県壮年野球大会での優勝ですね。   
これが私のチーム『牛島エスポークラブ』の初優勝でした。   
このチームをつくって3年目での優勝で、この時のことは今でも鮮明に覚えています。   
実はこの2年前から、妻が悪性リンパ腫を患っていたんです。   
闘病生活が続いていたのですが、脳に転移してしまい、その時その時の記憶さえも忘れてしまうまでになりました。   
そして仕事中に、病院から電話があり急いで駆けつけましたが妻は亡くなりました。   
大会の3か月前のことでした。   
この病にかかってから、妻が亡くなることは想定していましたし、覚悟もしていたつもりでした。   
そんな絶望の中で、チームが優勝したという事は自分の心の中でとても大きな財産となりました。

Q  野球に関する宝物は何ですか?
A  やっぱり初優勝したときの写真でしょうか。   
これが私の原点ですから。  
この時の優勝があったからこそ、今の私がいて、チームがあると思っています。   
その他にも、優勝トロフィーや賞状などたくさんあるので、自宅を改装し、記念館を作る予定です。

 
 

Q  モットーは?
A  来る者は拒まず。   
未経験者だろうが、下手だろうが、来てくれるという人は大歓迎ですよ。   
志を持っている人は、絶対にチームの力になってくれるのがわかっていますからね。

Q  野球仲間へのメッセージ
A  野球から一度離れた人でも、体を動かす程度でも構わないので、「野球やりにおいでよ」と言いたいです。   
野球をやるのに年齢なんて関係ありませんよ。  
最初は、軽く体を動かすだけのつもりで20年ぶりに野球をやってみたら、思いのほか燃えてしまって、今は誰よりも生き生きとプレーしている、なんて人もいますからね(笑)   
野球をやっていると、たくさんのつながりを持てるのも素晴らしいことだと思います。   
私自身、高校時代に野球部に所属しなかったこともあり、初めは“無名監督”だったので、「岩崎?誰だこいつ」と他のチームから言われていましたが、各種大会で勝ち進むにつれチームの名前とともに私の名前も知ってもらえるようになり、「牛島の岩崎?あぁ、ヒゲのな!」と言われるようになりましたよ。

Q  今年の目標は?
A  牛島エスポーはもちろん『全国制覇』です。
この10年でマスターズで5回、壮年野球大会で4回の全県優勝をしていますが、まだ全国優勝は成しえていません。
牛島クラブとしては、『ベスト8以上、来年は優勝』ですね。

Q  岩崎さんにとって野球とは?
A  そりゃもう、『人生』ですよ。   
野球をやるために仕事をしているようなもんですからね(笑)   
22年前に腎移植をしていて、1か月に1回通院しなければならないのですが、シーズンが始まるとどうしても野球優先となってしまって、半年くらい病院に行けなかったりします(笑)   
きちんと行かないといけないのは、自分でもよく分かっているんですけどね…(笑)   
ですが、一昨年入院したりしたので、これからも楽しく野球をやるためにきちんと通院しないといけないですね。   
余談ですが、野球をやる人に悪い人はいないと思っています。   
野球を通じてたくさんの方々と今までお会いしてきましたが、皆さん本当にいい人ばかりで助けられていますよ。   
私が長年野球に携わり続けることができているのは、周りの皆さんのおかげでもありますよね。

 

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫

~ profile ~

岩崎 薫(いわさき かおる)氏
昭和34年生まれ
秋田県大仙市協和出身
牛島クラブ主将(500歳チーム)
牛島エスポークラブ代表(360歳チーム)