Q 野球をはじめたきっかけは?
A 実は、小学校から高校まで野球はやっていませんでした。
ですが、高校卒業後、民間の通信会社に勤めた後、秋田大学に職員として入って“官公庁野球”と出合い、大学の職員野球クラブがあったので、「これだ!」と思い、野球をはじめました。
年齢で言うと35歳頃だったので、他の人から比べると随分遅咲きだったんです。
野球はテレビで観たりはしていたので好きだったのですが、それまで経験はまったくなかったです。
Q 指導者となったきっかけは?
A 当時勤務していた秋田大学教育文化学部附属中学校のソフトボール部の顧問の先生から、手伝ってもらえないかと言われたのが指導者となるきっかけでした。
指導した秋田大学教育文化学部付属中学校のソフトボール部は、1年目の秋田県中学校秋季ソフトボール大会で優勝しました。
そのままそのチームが、翌年の秋田県中学校総合体育大会でも優勝しました。
練習もかなりやりましたよ。
Q コーチ時代のエピソードを教えて下さい
A 就任5年目に、自分なりに最強チームをつくったつもりでしたが、自分の油断から、今までずっと勝っていたチームに秋田県中学校総合体育大会の1回戦で負けてしまいました。
その後、すぐに責任をとって辞表を出しました
でも、その翌春に今度は秋田北高校から指導を頼まれ、3年契約でコーチを引き受けました(笑)
指導にあたったチームが、それなりの成績を収めることができたのでよかったと思います。
Q ソフトボールから軟式野球を教えることになったのはなぜ?
A 私の息子が中学校に入って野球部に入部したのをきっかけに、中学校の野球部にお手伝いに行くようになりました。
Q 秋大附属中が強くなるために行ったことは?
A 出れば負ける、そんなチームだったので意識改革から取り組みました。
理解ある父兄が多かったので、それまではダメだと言われていた合宿を行い、野球で実績のある指導者を呼んで教えてもらったりしました。
とにかく徹底して意識改革することに努めました。
厳しい練習も子供たちは自然と受け入れてくれて、父兄からも受け入れてもらえました。
グラウンドも改修され、環境が良くなったことも大きかったですね。
それから試合で子供たちも成果を発揮できるようになり、1人1人が野球の面白さがわかってくるようになりました。
そして子供たちがどんどんやる気を出していき、グラウンド整備も自分たちでやるようになるなど、子供たちが良い方に変わっていくのが分かったので、「勝てるチームに変わってきた」、そう思うようになりました。
その後、第72回全県少年野球大会で優勝することができました。
Q 今まで指導してきた中で印象に残っている選手は?
A 全県優勝したときのピッチャーの針金 亮斗くんです。
練習中に右手親指を骨折していたにも関わらず、隠してバッティング練習をしていたんです。
しかし、すぐにおかしいことに気付き、見に行ったら腫れていたので、すぐに逆算して、夏の試合に間に合うようにとにかく走り込みだけさせました。
大会を目前にして、ようやくピッチング練習に入りました。
また、彼はプレー自体ももちろん優れていたのですが、とにかく努力家でもありました。
チームのキャプテンを務めていたのですが、細かいところにも気が付き、チームをよくまとめていました。
自分がチームの主戦力であること、キャプテンであることをしっかりと自覚して取り組む姿勢が印象的でした。
Q プレーヤーとしての鎌田さんについてお聞きします。
A 好きなポジションはどこですか?
どこのポジションでもできるのですが、好きなポジションはセカンドですね。
送りバントでファースト側が狙われたり、カバー、カットプレー、サインを見て外野に伝達するなど、動きの多いところが好きなんですよね。
Q 野球に対してのこだわりはありますか?
A 道具を大切にすることにはこだわっています。
道具を粗末にするのは大嫌いです。
バットやグローブは暇さえあれば磨いていますよ。
そして、ユニホームをだらしなく着るようになったらおしまいだと思っています。
どの角度から見てもかっこいい身だしなみでいるように子供たちにも伝えてきました。
Q 印象に残っている試合は?
A 刈和野の新和会という500歳野球のチームに柳葉敏郎さんがいるのですが、そのチームと練習試合をしたときに私がピッチャー、柳葉さんが1番打者で、いきなりホームランを打たれたんです。
でも、私はガッツポーズをしていました。(笑)
柳葉さんからホームランを打たれるなんて、本望だと。(笑)
周りから見ればおかしな光景だったと思いますが、勝っても負けても、打っても打たれても、野球が楽しいんですよ。
あとは、550歳野球の秋田銀行との試合で、1対3で負けていた最終回で私のヒットを皮切りに4対3の逆転に成功しました。
最終回、相手の攻撃で1アウト2塁の場面で快心の当たりを打たれて、「あぁ、負けた」と思ったのですが、たまたまレフトがいい場所にいたおかげでダブルプレーとなり、そのまま勝利しました。
劇的なシーンだったので、印象深い試合となりました。
勝っても負けても、いかに皆が楽しめるか、「またみんなで一緒に試合やりましょう」、そう思える野球をすることが私のモットーです。
試合前はわくわくして眠れないんです(笑)
Q 鎌田さんにとって野球とは?
A 人生ですね。
野球がなかったら今の私はどうなっていたかわからないですし、野球のおかげで出会った方もたくさんいますし、野球のおかげでいろいろな感情を持つこともできました。
野球のおかげで自分の進むべき道がしっかり見えました。
感謝しかないです。
≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫
~ profile ~
鎌田 修一(かまだ しゅういち)氏 昭和21年生まれ 秋田県秋田市出身 秋田県小学生野球協会 事務局長 広面野球スポーツ少年団 監督 秋大附属中学校野球部 コーチ 東部ファイターズ 監督 東部クラブ 選手 |