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小学校、中学校とソフトボールをやっていた。4つ上の姉の影響もあったが、やはり野球好きの父親のDNAを受け継いだのだろう。中3の全県総体では本荘北に敗れたとはいえ、準優勝に輝き、東北大会に出場した。
「高校に進んでもソフトボールをやりたい」とは思っていたが、能代にはそれがなかった。自身が野球好きなことに加え、父親も喜ぶかな、と思って硬式野球部のマネジャーの道を歩むことを決意した。が、「野球部の手伝いをして面白いのか」と、父親からは意外な反応。それでも意志を貫いたのは「野球が好きだから」ということだろう。

マネジャーの仕事は、部室の掃除、補食の支度…。慣れない仕事に四苦八苦した。
なかでも大変だったのは、部員50人のおにぎりを作ることだった。通常の大きさとは違い、食べ盛りの選手たちだけに、その大きさは1人1合の特大サイズ。ソフトボールよりも大きいおにぎりを50個も作るとなれば、炊事の手慣れた主婦でさえ大変な仕事である。それを4人のマネジャーが手分けして作った。
窓の外では部員が汗水を流して、懸命に白球を追う姿が自然に目に飛び込んでくる。
「部員の頑張りが、自分のモチベーションでした」

予想もしなかったうれしかった出来事があった。それは部員全員が、自分の誕生日を祝ってくれたことだ。プレゼントは大量のお菓子。あと、県大会の前に行われた青森北との「3年生引退試合」で、スコアラーとしてベンチの入れてもらったこと。この時、能代の公式戦用のユニホームに初めて袖を通すことができたことは、何よりうれしかった。そしてノックも受けた。この2つの出来事は、青春時代の素晴らしい思い出として心のアルバムに残ることだろう。

もう一つうれしかったことは、ノックのボール渡しをやったことだ。女子マネはグラウンド内に入ることはできなかったのだが、ある日の練習で特別に1回だけ、その役目を担った。「満足した瞬間だった」と振り返る。

能代の硬式野球部が遠征や宿泊を伴う場合、これまでは女子マネは「留守部隊」だった。それが、今年から帯同することになり、仙台などの遠征に連れて行ってもらった。
「大変なことはあったが、チームでの一体感が深まった。このことには、部長、監督には感謝しています」

当初は苦言を呈していた父親だったが、いつのまにか応援してくれるようになった、という。学校までの送迎や、試合でのアドバイスなど家族の支えがあったからこそ、3年間、頑張ることができた。

3年間で一番印象に残っている試合は、この夏の秋田大会。「今でも思い出すと涙が出てくる」という。
大会前は初戦の相手となった秋田中央に勝てるのか、不安がつきまとった。そして試合当日。彼女は場内アナウンスを任された。結局、初戦は3-2で逆転勝ちを収めた。放送室でガッツポーズを繰り返した。2回戦の相手は大館国際情報。この試合、先制したとはいえ逆転された。それでも再逆転して14-3の大差での勝利を収め、16強進出を決めた。

そして迎えた3回戦。相手は第1シードの金足農。この試合も場内アナウンスを担当して戦況を見守っていた。
「気持ちは選手と一緒に戦っていました」
試合は能代の先頭打者本塁打で戦闘の火ぶたを切った。この瞬間、鳥肌が立つ思いだった。2回、金足農が一挙3点を奪い逆転。その後はこう着状態が続き、1-3で8回を迎えた。
8回表、能代が1点を奪い、その差1点に詰め寄る。しびれるような展開に、アナウンスする声が震える。最終回、さらに1点をもぎ取り、同点に追いついた。いまにも流れ落ちてくる涙を、必死にこらえた。アナウンスしようとするのだが、声がでない。「何回も、何回もスイッチを切った」。気持ちを落ち着かせてからアナウンスをした。

喜びもつかの間、その裏、金足農にサヨナラ負けを喫した。もう我慢の限界だった。それでも、最後まであきらめずに粘りを見せた能代ナインに励まされたかのように、最後まで自分の仕事はやり通した。

すべてが終わった瞬間。人目をはばかることなく泣いた。負けた悔しさ、全力で戦った感動とそれまでの3年間の頑張った姿がオーバーラップする。選手と同じグラウンドでプレーすることはできなかったが、感動や苦労を共有し、ここまで一緒に頑張った達成感は、これまで経験したことはなかった。

女子マネの短い夏は終わってしまったが、夢の続きを追い求めている。
「将来は大学に行って公務員に、と思って入学した能代高校」だったが、今は野球に関連した記者やアナウンスになりたい、という意欲がでてきた。進むべき道の進路変更は、やはり野球がつきまとうのだろうか。
「どうしても野球関連に携わりたいんですよ」
18歳の乙女心は揺れ動いている。

再び舞台を金足農に敗れたときまで、巻き戻してみよう。
試合終了後のミーティングでの牧野嘉訓監督のねぎらいの言葉にまた、泣けた。とめどなく滴る涙に「一生分、泣いた感じでした」。

まだだれにも言っていないことだが、大学に進んだらまた野球部のマネジャーをやろうかと、考えている。
本当に野球をこよなく愛しているのだろう。
「どこに魅力を感じるのか」と尋ねると、「バットを振る音」、「バットの芯にボールが当たる音」、「ボールが空気を切る音」、「ボールをグラブの芯で捕球する音」など、すべての音が心地よく、魅力という返答。
なるほど、野球って、そんな魅力もあったんだ、と再認識させられる。

また「あなたにとって野球とは」という問いには「青春です」ときっぱり。幼い頃から野球という存在が身近にあって、プロ野球とか甲子園とか見ていてマネジャーをやりたいと思い、何よりも優先してマネジャーという役目を楽しんできた。それは、自分にとってはなくてはならないアイテムの一つとなっている。
「将来、結婚して男の子ができたら絶対野球をやらせます」



≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫

~ profile ~

伊藤 千穂(いとう ちほ)さん
平成13年生まれ
秋田県能代市出身
渟城南小―能代二中―能代高
小・中学校とソフトボール、能代高では硬式野球部マネジャーを務める