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東京で生まれ、小学3年生までオーストラリアで暮らした後、千葉県に移り住んだ。そして東京学芸大を卒業し、アナウンサーの道へ進んだ。最初に内定をくれたのが“ABS秋田放送”だったことから、秋田での生活が始まったが、5年後に退職し、東京でフリーアナウンサーとして活躍した。

東京では、秋田放送時代に知り合った夫・耕平さんとの間に3人の子供も授かり、順風満帆な生活を送っていた。そんなときに舞い込んだ、夫の秋田への転勤の知らせ。
夫はすぐに秋田放送に戻ることを決意したが、二田(旧姓:柳本)は当時、何本ものレギュラーを抱えた“売れっ子”だったこともあり悩んだ。
しかし、「家族とは何かを考えた結果、家族がバラバラになるという選択はできなかった」という。そして夫婦ともに秋田に戻ることを決め、秋田での生活が再び始まった。

夫は小学生のころから野球少年だった。毎日野球漬けの生活をしてきたこともあり、逆に子供には他のことを経験してほしいとの思いから、野球はやらせないと思っていた。しかし、長男が4年生になると突然「野球をやりたい」と言い始めた。夫婦ともにその言葉にはびっくりしたが、本人の意思は固く、それを尊重することにした。
「こんなことならキャッチボールくらいしておけばよかった、と夫は言っていましたよ」(笑)

そこから生活は一変した。土、日曜など休みの日に家族で出かけることもなくなり、父母の会の手伝い、当番の日はグラウンドに行き手伝いをし、洗濯物も増えた。夫は野球経験者ということで、チームのコーチを務めることになった。大会がある日は朝5時に起きて弁当を作って送り出し、次女を連れて長女を新体操の練習に送っていき、自身で経営するお店で仕事をし、長女を迎えに行く…という多忙なスケジュールのため、ゆっくり応援に行くことができない現状だという。

忙しい中でも、弁当はできるだけ手作りを食べさせたい、という思いから、インスタントではなく手作りに徹底する。
「夫がコーチとして付き添ってくれるおかげで(今の生活が)成り立っている。夫がいなかったら絶対に無理だった(笑)。本当に感謝ですよ」
しかし時には夫も仕事で都合がつかず、誰も子供を引率できないこともある。そんなときには、父母の会の仲間たちに送迎をお願いし、助けてもらうこともあるという。子供同士はもちろん、親同士も仲が良く、”困ったときはお互い様”と皆が当たり前のように助け合える環境だという。息子が野球を始めたことによって生まれた父母同士の絆。そこには感謝の気持ちを忘れない。
「今年は6年生で最後の年なので、できるだけ多く、息子の活躍を自身の目に焼き付けたいと思っています」

最初のうちは大変だった洗濯も、某メーカーの洗剤と出合って劇的に楽になった。
「ゴシゴシこすらないと落ちなかった泥汚れが、つけ置きするだけできれいに落ちてしまうんです。ユニホームの泥汚れで大変な思いをしているお母さんたちには、ぜひお薦めしたいです!」と太鼓判を押す。

印象に残っている試合は? との問いには、「初めて内野ゴロで出塁した試合かなぁ」。
そのときはちょうど応援に行けたことから、息子の初の活躍をじかに見ることができ、写真も撮れた、と嬉しそうに語る。

「息子は野球を楽しいと言い、中学校にいっても続けたいと言っていますが、うまくなりたいと思っているなら、もう少し自主練をしてほしい」という思いを抱いているようだ。
だが、「練習をしなさい」と強要したりはしない。
「うまくなるためのアドバイスを、いつでもしてもらえる環境にいるのにもったいない、と思いながらも、本人から“やる気”を見せてこないと意味がないですからね」と言う。

息子が野球を始めたことで気付かされたこともある。自分がいるポジションから、他のポジションの立場や気持ちを考え、それによって自分の行動を考えるというチームプレーならではの良さだ。これから成長し社会に出てからも人のことを思いやる気持ちは大切なこと。それを学べていることはすごく良いことだと感じている。
自身は陸上部で個人競技をやってきたからこそ、なおさら強く感じたことだった。
「陸上と野球を比べると、着るものの多さにもびっくりしましたけどね」(笑)。
スポ少の子供たちはみんな可愛くて、「我が子が増えたようで、それもうれしい」という。

一番うれしかったことは、「ごはんをたくさん食べるようになったこと」。
特別、食が細かったわけではないが、野球をやり始めてからは丼で4杯食べたこともあるという。漫画で見るような豪快な食べっぷりを見て、本当にうれしかったという。

逆に一番大変なことは、スケジュールの管理と答える。練習場所、試合場所、時間などそのときによって違うことから、1つでも間違えてしまうとすべてが狂ってしまう。なので、そこは特に気を付けているという。

子供には将来、“視野の広い人”になってほしいと願っている。野球だけにとどまらず、いろいろな世界、いろいろな人を知ってほしいし、もちろん野球でも練習試合や大会を通じて学んでほしい、という。野球で築いた仲間との絆もずっと大切にしてほしいとも語る。

二田さんにとって野球とは? との問いには、『勉強の場』という。
周りの家庭を見て、“人生の時間の使い方”を学ぶことができている。夫婦共働きの世帯が多いが、そんな中でも時間をやりくりしてうまく使い、「どうしても」というときは助け合う。息子が野球を始めたおかげで、負担はもちろん増えたが、その分、得るものもたくさんあった。
「たくさんの人に感謝です」と締めくくってくれた。



≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫

~ profile ~

二田 雪絵(ふただ ゆきえ)さん
船橋小―松葉中―柏高―東京学芸大
元ABS秋田放送アナウンサー
現在はフリーアナウンサーを務めながら
秋田市中通で
アロマテラピーショップ『Pfre』を経営している