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私が審判になったのは2006年、当時入っていた軟式野球チームで声をかけられたことがきっかけでした。審判員が足りないので、選手の中から何人か審判の試験を受けてくれないか、ということでした。そんな経緯で審判になって、最初に驚いたのが、今までプレーヤーとして野球をやっていた自分が、いかに野球のルールを知らなかったかということです。もっとルールを勉強しなければと思ったことと、審判の動きが思いのほか難しくて戸惑ったことを覚えています。

審判をしていて大変だと思うのは、審判は正しくやって当たり前だという厳しさがあるところです。例えば自分が「アウト」と言った後、観客から「セーフだろう」という声が聞こえてきたりすると、精神的にこたえます。大きい大会ほどその声が重く感じます。 そんなとき、すぐに気持ちを切り替えなければいけないとわかってはいますが、なかなか難しいです。あと、私が審判をしていて一番緊張するのが、練習試合で代打が出てくる場面です。というのは、その選手について、ここでヒットを打てばレギュラーになれるかもしれないとか、逆にミスをしたら今後出られなくなるかもしれないとか、いろいろ考えてしまって、とても気を使いますね。

審判をやっていて良かったことは、大きな大会に携われることです。私は主に高校野球の審判をやっているんですが、高校生から学ぶことも多いです。高校生の一生懸命ボールを追う純粋な姿を見ていると、自分もがんばらなきゃいけないな、と元気をもらえます。 一方で、高校野球の審判は「ペンを持たない指導者」と言われているので、自分も指導者という立場で生徒と接するよう意識しています。高校生には、野球のルールはもちろん、グラウンド上のマナーを教えたいと思っています。試合のときはテンポアップや、審判の気持ちをわかってもらいたいという思いで声をかけることもあります。 また、グラウンドの外でも審判をしていることがプラスになることは多いです。例えば仕事でお客様先を訪問したとき、相手が野球好きの場合は話が弾みます。野球好きの方でなくても、審判をやっていると言うと話のネタになります。また、他の審判の方もそれぞれ仕事を持っているので、そういう方と仕事先でも出会うこともあります。審判をしていることで、仕事の幅、人とのつながりが増えたと思います。

この春、第89回選抜高等学校野球大会に秋田県からの派遣審判員として、甲子園に行ってきました。私が初めて甲子園に行ったのは2014年の夏、秋田県の高野連が主催する審判視察のときでしたが、そこで見た審判員の動きや試合運びに刺激を受けました。次の年からは毎年実費で甲子園に行って勉強しながら、いつかは甲子園で審判をしてみたいと夢見ていました。派遣が決まったときは本当にうれしかったです。

私が審判を担当した試合は、第3日目の第3試合の健大高崎-札幌第一、第5日目第2試合の早稲田実業-明徳義塾、第7日目第1試合の報徳学園-前橋育英の3試合でした。 最初の健大高崎と札幌第一の試合のときはグラウンドに入ったときから緊張しているのが自分でもわかっていました。3イニング目くらいから落ち着いてきて、スタンドの応援やブラスバンドの音も耳に入ってくるようになりました。試合は2時間半くらいでしたが、あっという間に終わり、終わってみたら全く記憶がありませんでした。そこで初めて、ずっと緊張しっぱなしだったんだなと気がつきました(笑)。 試合前に自分で掲げた目標は、正確なジャッジで、わかりやすく全身を使ったジェスチャーをすることでした。最初の試合の点数は自己採点で70点。マイナス30点の理由は選手への声掛けが足りなかったことです。選手へ声掛けをして試合をスピーディーに進めるというのも審判員の重要な役割ですので。 次の早稲田実業と明徳義塾の試合は、注目のカードでしたが、最初の試合に比べるともう少し気持ちの余裕がありましたね。ただ、前の試合では2塁審判でしたが、この試合は3塁審判だったので、別の緊張感もありました。3塁に立つので、左バッターのハーフスイングのリクエストがくる場面も想定していたんですけど、実際、9回の早実・清宮くんの打席でハーフスイングがあり、リクエストがきました。そのときは振っていないと判断したので、ノースイングという風にジェスチャーしたんですけど、その場面はやはり印象に残っていますね。

その他、甲子園で自分が審判をしていた試合以外で印象に残っているのが、たまたまスタンドから見た不来方高校の試合です。不来方高校のレフトの選手が守備中にグラウンドに落ちていたゴミを拾ってポケットに入れたんです。そしたら、それを見ていたレフトスタンドのお客さんからわーっと拍手が起きたのを見て、とても嬉しくなりました。それも印象に残っていますね。

甲子園で1番勉強になったのは、選手に対する接し方です。 甲子園に出てくる選手たちは、野球の技術もグラウンド上のマナーも完成されています。その試合をジャッジする甲子園の審判員ですが、選手への指導方針として、完成されたチームを対象にした指導ではなく、地方の予選1回戦で敗退するチームを対象にするような指導をするように言われたのがとても心に残っています。

今後は、自分が甲子園で学んできたことを実践し、秋田の高校生に還元したいと思っています。ちょうど今、甲子園で見てきたこと、聞いてきたことを整理しながら、秋田県野球協会審判部に出すレポートをまとめているところです。審判員の動きや声掛けなどの技術的なことの他、毎試合後のミーティングの内容なども詳しく書いて共有できればと思っています。 本当に貴重な経験をさせていただきました。秋田県から甲子園に派遣される人間は本当に一握りだと思いますが、おごることなく、今まで以上に謙虚な姿勢で審判に取り組んでいきたいです。

私にとって審判とは、生活の一部です。審判を優先して、試合のために仕事を休むこともありますので。そして、そういうことができるのは会社の理解があるからです。私が全国大会にまで派遣していただけるようになったのは、会社や家族の支えと諸先輩のご指導のおかげだと思います。その方々への恩返しというわけじゃないですが、国際審判員の資格取得を期待してくださっている方々もいるようなので、がんばって挑戦してみたいと思っています。 また、私は年間60試合ほど審判を務めていますが、これは決して多い方ではなく、秋田では審判員が不足しています。審判は厳しいという印象を持っている人が多いと思うんですが、厳しさの半面、素晴らしさがあることを知ってほしいと思います。 私は硬式野球の経験も、選手としての実績がなくても甲子園球場に行くことができました。これから審判を始めようとする人には、自分の野球経験に関わらず、夢を大きく持って勇気を持って審判の世界に入ってきていただきたいと思います。

最後に、私にとって野球とは、自分自身を成長させてくれる素晴らしいスポーツだと思います。生涯にわたって野球には携わっていきたいと思っています。



≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫

~ profile ~

佐々木 真司(ささきしんじ)氏
昭和50年生まれ
秋田県秋田市出身
秋田県野球協会審判部秋田支部所属