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Q  入学の経緯は?
A  中学校では、あと一歩で全県大会出場という場面で自分の力不足で最終回にサヨナラ負けという、すごく悔いが残る野球でした。
だから高校でもう一度野球をやって成長したいと思っていました。
そんな中で夏休みに由利高の体験入学に行きました。
体験入学で見た由利高の野球部の先輩方はとても輝いて見えて、「自分も由利高で野球をしたい」と思い、由利高に入学して野球をすることを決めました。

Q  楽しかったこと、うれしかったことは?
A  今まで公式戦ではベンチ入りすることはできていましたが、自分よりいいピッチャーがたくさんいたので公式戦では登板することはできなかったのですが、最後の大会では登板することができました。
すごく緊張して普段の力を出すことはできませんでしたが、チームメイトや応援に来てくれた由利高の生徒たち、家族の声援がすごく力になったし、心強かったです。
試合が終わってみんなで由利高の校歌を歌ったときは今まで野球を続けてきて本当に良かったと感じました。

Q  苦しかったこと、つらかったことは?
A  3年生になると、”今年が最後”というプレッシャーから結果を出せずに、メンバーから外れてしまう恐怖と戦っていました。
他の3年生のピッチャーが良いピッチングをしているのに自分だけが結果を出せなかったことがつらかったです。
両親には、「これが由利高で試合に出られる最後の試合かも知れないからB戦に見に来てほしい。」と言ったこともあります(笑)。
しかし、そんな中でも両親は期待し励まし続けてくれました。
両親の支えがなかったら野球が嫌いになっていたかもしれません。

Q  自分が成長したと感じることは?
A  感謝の気持ちを持って野球をすることができるようになったことです。
小学校、中学校まではエースで打順も中軸を打っていて何も考えずに野球をやっていました。
高校の野球ではまわりのレベルが高く、3年間控え選手で終わってしまいました。
控えでも、試合に勝ちたいという気持ちは一緒でした。
自分が控えの立場になってはじめて、”野球はたくさんの人たちが陰から支えてくれているからこそ、自分たち選手が野球をすることができるのだ”と気が付くことができました。
これからも野球だけでなく何事にも感謝の気持ちを持って生活したいと思います。

Q  感謝していること、感謝している人は?
A  家族です。
小学校3年生から野球を始めて10年間たくさんの迷惑をかけてきました。
この10年間は土・日の休みもほとんどなく、本当に大変だったと思います。
父には、野球を始めたころからずっと技術的にもメンタル的にも支えてもらいました。
野球の楽しさ、厳しさ、奥深さ、全てを教えてもらいました。
野球を始めるきっかけとなったのも父の影響です。
父のアドバイスがなかったら、センスのない自分は高校では野球をやっていなかったかもしれません。
母には弁当を作ってもらったり練習や試合の度にユニホームを洗ってもらったりしました。
高校に入学すると家から学校まで遠かったので、毎朝5時前に起きて弁当を作ってくれていました。
母が作ってくれた弁当から毎回大きな力をもらっていました。
練習や試合でうまくいったところや良かったところは自分のことのように喜んでくれたのも母でした。 妹にも感謝をしています。
妹は由利高の野球部でマネジャーをしています。
兄妹で同じ野球部にいて正直なところやりにくかった部分もありましたが、2年間一緒に野球ができたことをうれしく思います。
表舞台には出ない存在ですが、妹の支えが大きな力になっていました。
家族の支えがなかったら絶対に野球を辞めていたと思います。
楽しいとき、苦しいとき、どんなときも家族がそばにいてくれたからこそ野球を続けてこられたのだと思います。
これからは野球でたくさん迷惑をかけた分、絶対に恩返しをしたいと思います。

Q  座右の銘、好きな言葉は?
A  『野球は人生の縮図なり』。
この言葉は中学校の親の会の方々の応援Tシャツにプリントされている言葉です。
またPL学園元監督の中村順司さんは『球道即人道』という言葉を残しています。
野球には人生と関連している言葉が多いように感じます。
3時間くらいの野球の試合の中に人生に通じるものが多くあると思います。
逆境の後にチャンスが巡ってきたり、一つの小さなミスが命取りになったり野球から学ぶことはたくさんあります。
野球の試合を人生に例えるとまだまだ自分たちは試合の序盤だと思います。
まだまだ試合はこれからです。
これからの人生、全カプレーで楽しみたいと思います。

Q  これからの目標や夢は?
A  どんな形でも良いから野球に携わっていきたいです。
小学校から野球を続けてきて、楽しかったこと、つらかったこと、本当にたくさんありました。
野球から得たこと全部が自分のためになることでした。
これからもまだまだ野球から学ぶことがたくさんあると思います。
野球の楽しさをいろいろな人たちから教わったように今度は自分が野球の楽しさ、すばらしさを伝えていきたいと思います。

Q  一緒に頑張った仲間たちへのメッセージ
A  高校では本当にチームメイトに恵まれたと感じます。
練習のときでも試合のときでも、つらいときには声を掛け合って頑張ってきました。
高校1年生の3月にチームメイトの一人が転校で部を離れることになったのですが、「あいつの分まで俺らが頑張ろう!」と転校した仲間にいい報告ができるようにみんなで野球に真剣に取り組むことができました。
転校して19人のメンバーになってしまいましたが、自分は最後まで20人で戦うことができたと思います。
これから先、卒業したらみんなバラバラになってしまうけど、何年か後またみんな笑顔で集まることができたらいいなと思います。
20人の仲間たちと野球ができて本当に良かったと思います。
ありがとうございました。

Q  後輩たちへのメッセージ
A  野球をやっているとつらいことがたくさんあって、野球が嫌いになる時期もあると思います。
でも、野球をやっていて間違ったこと、無駄なことはないと思います。
やっていることは正しいことだし、絶対自分のためになると思います。
つらくなっても一度立ち止まってまわりを見れば、絶対に仲間がいます。
一人じゃないし、仲間と一緒なら乗り越えられると思います。
みんななら甲子園に行けると信じています。

Q  あなたにとって高校野球とは何だった?
A  今思い返すと、高校野球は楽しかったことよりも、苦しいと感じることのほうが多かったと思います。
野球が嫌で辞めてしまいたいと思うこともありました。
しかし、その分楽しかった思い出や、嬉しかったことは今でも鮮明に覚えているし、自分の宝物です。
高校野球があったからこそ技術的にも精神的にも成長することができました。
野球がなかったらとてもつまらない人生だったと思います。
今までの18年間の中でこの2年と少しの間は一番濃い時間だったし、大切なものを得ることができた時間でした。
そして何より自分は「野球が大好きだ」と感じることができました。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫

~ profile ~

真坂 寿来(まさか じゅらい)
秋田県由利本荘市出身
由利高校3年