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Q  野球を始めた端緒は?
A  子供の頃の遊びと言えば、野球だけ。
そのころ、同じ地域の年上の先輩に、本当に野球が上手な人が数人いた。
「彼らのようになりたい」と思い、ボールを握ったがきっかけだった。
小学校のころ、牛島、築山、中通の3校対抗試合があったが、そのころ出場できたのは6年生だけ。
でも、私だけが5年生で投手として選ばれた。

Q  中学校、高校時代はどんな選手だった?
A  秋田南中時代は2年時、全県大会に出場し、優勝した神代中に敗れた。
その時はセカンドで、練習では打撃投手を務めていた。
秋田商高時代は、2年時に西奥羽大会決勝で、甲子園でベスト4へ進出した秋田に2-4で敗れた。
秋田は、甲子園でも破竹の勢いだっただけに、「本当に強い」という印象だった。
敗れた瞬間、「また明日から厳しい練習が待っている」という思い出が残っている。
3年時は大曲東に早々と敗れた。
この試合、雨で中断して流れが変わったのか、サヨナラ逆転負けを喫した。

Q  その後は、どんな野球人生を歩んだのか?
A  高校卒業後、東京の会社に勤め、そこで軟式野球チームに所属した。
ある大会の決勝で延長24回を1人で投げ抜いたことを鮮明に覚えている。
再試合を考えた瞬間、決勝点を奪われてしまった(笑)。
昭和50年、秋田に戻り、地元のチームに入って「全県おはよう野球」で優勝した。
このことがその後、野球に携わるに当たって常に「プライドを持ってプレーする」という意識を持たせてくれた。
つまり、優勝投手として「ぶざまな投球はできない」、「格好悪い投球はできない」など、私にとって野球に取り組む考え方の原点になっている。

Q  平成22年、25年、そして昨年と500歳野球では3回優勝を果たしているが、大半の試合を1人で投げているがその秘訣は何か?
A  高校時代、打撃投手を務めたことが根底にある。
自然に楽な投げ方を体で覚えたのかな。
高校時代の練習の最後に、毎日のようにベースランニングを1時間も課されたことが、足腰の強化につながったのだろう。
今でも冬場はランニングや筋トレなどで鍛えている。
チームの週2回の練習では、150球ほどの投げ込みと走り込みをしている。

Q  秋田の中高年の投手は藤林さんを目標としているが、どんなモチベーションでマウンドへ?
A  チームではなく「投手への挑戦」、という気持ちかな。
最終的には「チームのために」だが、それを意識してしまうと気持ちが重くなる。
苦しいことだが、自分がボールを持ってゲームをつくる、という意識で野球と対峙している。
投手への挑戦ということは、「以前のようなスピードボールを投げたい」とか「切れのあるボールを投げたい」というような、自分に対する挑戦かもしれない。もちろん、勝敗にもこだわっている。

Q  今季、秋田市で開催した東日本古希大会でも優勝投手になったが、今後の目標は?
A  個人的には、まだまだ「すごいボールを投げたい」。
若いころのような伸びのあるボールをね。
以前は、狙って投げたコースにコントロールされていたが、最近はそれもままならない。
練習不足かな。
あとは今シーズンから古希野球で秋田還球クラブに入部したが、全国大会で優勝を狙ってみたい。
そして、私より若い世代の還暦大会、500歳大会などの全県レベルの大会でも頂点を狙っていきたい。
また「全県優勝」の投手になりたい。

Q  思い出の試合は?
A  全県500歳野球での初めての優勝かな。
ナイスミドルOBとして、27回大会の決勝で敗れた秋銀クに、4-0で勝ったことが強く心に残っている。
同じ決勝というステージでリベンジできたことは最高だった。
この時の試合では、思い通りの投球ができた。
「ボールの伸び」、「配球」、そして「制球」とすべてにおいて完璧だった。

Q  (試合を通じて)記憶に残っていることは?
A  やはり500歳大会でのこと。
何年前かな? 2試合連続して完全試合の達成目前だったが、最後の打者が放った打球を野手がエラーしてしまった。
野手が硬くなったのかな。
残念だったよ。
そのほかにも50代のころ、やはり500歳大会で最後の打者に打たれて3点を奪われたことも、記憶に残っている。

Q  藤林さんにとって野球の魅力は?
A  試合をするにあたって、出場する選手全員が常にベストな状態ではない。
チームとしての調子の波もある。
投・攻・守、そして走塁などにおいて、それらを各自が補うことができるのがチームワークと思う。
練習を通じて団結力が生まれることも、重要な要素で野球の魅力と思っている。

Q  本県の野球界に感じることは?
A  チーム内にスポ少の指導者もいるが、聞いた話では試合数がかなり多いという。
試合を通じて指導することも必要だが、それ以上に、もっと基本の指導をしっかりと子供たちに教えてほしい。
地域にはかつての経験者が数多くいるはず。
もっと彼らを利用することで、子供たちのスキルアップにつながるのでは、とも感じる。
県内は少子化に伴ってチーム数が減っていると聞いている。
これからますます拍車がかかることだが、心配だね。

Q  感謝している人は?
A  古希野球をするにあたって妻(君代さん)とは“3年契約”でやっている。
つまり、「3年は一生懸命がんばれ」と背中を後押ししてくれる。
感謝していますよ。
でもね、ちょっとふがいない投球をした時には「バッティング投手のようだ」とか、「もっと気持ちを入れて投げなさい」とキツ~イ一言も言われることもある。
それも励みにはなっている(笑)。

Q  藤林さんにとって野球とは?
A  常に自分に対して挑戦する意識を持たせてくれるもの。
投手を務めている以上、求めているのは昔のような投球をしたい。
勝敗以上にそこの部分に固執している。

Q  果たして何歳まで野球を続けられるのか?
A  とりあえず妻との“3年契約”が切れるまでは頑張りたい。
その後は、その時がきたら考える。
でも、投手として頑張れるのはあと1、2年かな。
野球にいつ見切りをつけるのか、それが本当に難題でもある。



《編集後記》
本県の中高年で野球に携わる人たちにとって、「藤林 正樹」という名前を知らない人は皆無であろう。500歳野球大会で8試合すべてを1人で投げ抜き、優勝したとか、同大会で3度の優勝で通算34イニングを投げ、2度、MVPを受賞したとか。さらには、今季、秋田市で開催された東日本古希大会でもMVPを受賞したなど、栄光を数え上げれば、枚挙に暇(いとま)がない。
そんな藤林さんの取材を通じて、不断の努力をしているんだな、というお話を伺って、「やはり、努力は嘘をつかない」という言葉を思い出した。こちらが投げたボール(質問)を、冷静に頭でかみ砕いてそのボール(答え)を投げ返す。マウンド同様、実に冷静な野球人である。
本人は「あと3年は」と語っているのが、その野球に対する姿勢、努力があれば、まだまだできるはず。もっと、もっと頑張って、本県の中高年プレーヤーの目標となってほしいものだ。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫


~ profile ~

藤林 正樹(ふじばやし まさき)氏
秋田県秋田市出身
昭和23年生まれ
牛島小―秋田南中―秋田商高
高校卒業後は東京に就職
昭和50年、秋田にUターン
全県500歳野球大会でナイスミドルOBに所属
3度優勝して2度MVPを受賞。