menu

大きな目標
三兄弟の一番下ということもあり、物心がついたころから既に、兄と一緒になって野球をやっていた記憶がある。豊岩小、中学校時代はエースで4番。仲間は幼稚園からの遊び仲間ばかりで、よく言えば伸び伸び野球、悪く言えば競争という意識がない野球環境だった。
試合ではなかなか勝つことはできなかったが、野球がとにかく楽しくてたまらなかった。そして小学校高学年の時。一番上の兄が秋田高校の野球部時代、甲子園大会の出場を決めた試合を観戦し強烈な感動を覚えた。この出来事が、「高校に進学して甲子園に行きたい」という野球人生の目標となった。
秋田高校に進学した当時の指導者は大久保正樹監督だった。本当に厳しい練習を課せられた。特にシーズンオフとなった冬場は1.2キログラムの竹バットを「やめろ」というまで振り続けさせられたことが、鮮明に脳裏に焼き付いている。家に帰るのは常に時計は午後10時を回っていた。この厳しい、徹底した練習を経験したことが、その後の野球人生に役立った。

挫折と栄光
大学は慶應義塾へ進んだ。高校時代の憧れが甲子園だとすれば、大学のそれは神宮球場。2年の春からベンチ入りを果たし、3年春にはレギュラーとして憧れの土を踏むことができる、と思っていた矢先。開幕直前に持病の椎間板ヘルニアが悪化した。初めての挫折に本当に心が折れかけたが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。治療と並行して肉体改造に取り組んだ。記憶にないほどの練習にも励んだ。結果、その秋、首位打者に輝いた。翌年春にはリーグ戦を制し、大学選手権の頂点にも立った。
この時の慶応のエースは同じ東北出身で私と同様に2浪して入学した鈴木哲(西武)。さらには通算31勝を挙げた左腕・志村亮、三冠王に輝いた大森剛(巨人)らに支えられての優勝だった。また日米大学選手権に選ばれた全日本の顔ぶれもそうそうたるメンバーがそろった。鈴木、志村、大森のほか、武田一浩(日ハム)、渡辺正和(ダイエー)、古田敦也(ヤクルト)、長嶋一茂(ヤクルトー巨人)、矢作公一(日ハム)、野村謙二郎(広島)大豊泰昭(中日)、大塚孝二(西武)ら、後にプロ野球で活躍する彼らを主将としてまとめあげた。そんな大学時代は楽しい4年間だった。

苦い思い出
3年秋の法政戦だった。勝てばまだ優勝の可能性が残る大事な一戦だった。雨中戦となったこの試合はナイターとなった。迎えた7回、2死2.3塁の場面だった。三塁手として守備についていたが、三塁側にファウルフライが上がった。だれしもが「これでチェンジ」と思った瞬間、よもやの落球。これで流れが変わったのだろう、逆転負けを喫した。最後のシーズンとなる4年生は優勝も消え、ベンチ内には嗚咽が響いた。申し訳ないこの出来事は、恐らく一生涯忘れることはないだろう。ただ、まだ早慶戦が残っていた。その間、死に物狂いでバットを振り続けた。
4年時はベンチに入れない4年生のモチベーションを下げないように配慮した。特にそれまで、レギュラーだけの参加だった激励会などレギュラーと補欠の垣根を取っ払った。「全員でチーム盛り上げる」ことがチームとして、主将としての狙いだった。

失敗から学ぶ
野球人生で一番、悔しさが残っているのが高校3年の夏、県大会準々決勝での対秋田南高校戦だ。9回に同点に追い付き、なおも2死2塁の逆転機に私が打席に入った。結果は四球で4番の石井浩郎(近鉄―巨人―ロッテー横浜)につなげたものの、延長戦でチームは敗れた。この場面、打席に入る前から四球が脳裏をよぎっていた。押せ押せムードの中、なぜ1球も振らずに四球を選んでしまったのか。なぜ、もっと積極的に向かう自分がそこにいなかったのか。今でも後悔している。あの場面に今でも戻りたい。
同じ轍(てつ)はもう二度と踏みたくない、と臨んだ大学時代のデビュー戦。法政の西川(南海)が投じた1球目を強振してヒット。日米大学大会でも初球を狙いすましてホームランを放った。打席には万全の準備をして必ず3回振ってくるという強い気持ちを持って試合に臨むことを、高校時代の反省から学んだ。

現在、野球を経験したことで仕事に生かされていることは「前向きにいく」こと。人生、いい時もあれば、悪い時もある。物事に対して常に前向きに、肯定的にとらえることを学んだ。人間関係もしかり、積極的に相手の懐に踏み込んでいくことが重要で、流れを自分に呼び込むことができるはず。そしてチームプレーの重要性は野球も仕事も、いわずもがなであり、まさに私にとって野球とは「人生の土台」である。

~編集後記~
厳しい野球の世界を経験し、しかもあれほどの面子をまとめあげた統率力は言葉では言い表せない何か不思議な魅力を感じた。それは、幾つもの難題を乗り越えてきた男の姿なのだろう。
一見、物静かで穏やかに見えるが、きっと内面に秘めた思いは人一倍強いのだろう。是非、母校の監督をやってもらいたい人物だ。

≪文・写真:ボールパーク秋田編集部≫

~ profile ~

猿田 和三(さるた かずみ)氏
昭和38年生まれ
秋田県秋田市出身
1986年 東京六大学秋季リーグ  首位打者 ベストナイン
1987年 東京六大学春季リーグ  優勝  ベストナイン
全日本大学野球選手権大会 優勝
日米大学野球 主将